森園勝敏
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四人囃子 (YONIN-BAYASHI)
出身地 日本
ジャンルプログレッシブ・ロック[1]
サイケデリック・ロック[1]
ニュー・ウェイヴ[1]
活動期間1971年 - 1979年
1989年
1995年1996年1999年
2001年 - 2003年
2008年 -
レーベルダブルデア・パブリッシング
HAGAKURE
PONY CANYON
SONY RECORDS
ポリスター
共同作業者末松康生(作詞)
公式サイト ⇒http://www.4nin.com/

メンバー岡井大二(リーダー、ドラムス)
森園勝敏(ヴォーカル、ギター)
佐久間正英(ベース、ギター)
坂下秀実(キーボード)

旧メンバー中村真一(ベース)
佐藤ミツル(ヴォーカル、ギター)
茂木由多加(キーボード)

四人囃子(よにんばやし)は、1971年に結成された、日本のロックバンド[1]。何度かの散発的な再結成を経て、21世紀に入り再び活動を活発化させている。目次

1 概要

1.1 音楽的特徴


2 メンバー

2.1 現在のメンバー

2.2 元メンバー


3 来歴

3.1 結成 - 1971年

3.2 佐藤ミツル在籍時

3.3 『DANCE』&『FULL-HOUSE MATINEE』 - 90年代

3.4 2001年 -

3.4.1 「ROCK LEGENDS」

3.4.2 「色彩探索」



4 ディスコグラフィ

4.1 シングル

4.2 スタジオ・アルバム(純作品)

4.3 ライブ・アルバム

4.4 ボックス・セット

4.5 その他のアルバム


5 エピソード

5.1 海外バンドとの共演

5.2 『ある青春/二十歳の原点』

5.3 「なすのちゃわんやき」

5.4 『'73四人囃子』

5.5 『From The Vaults』および『From The Vaults 2』

5.6 Rock Legends

5.7 色彩探索にて

5.8 「拳法混乱(カンフージョン)/ ほろ酔いの伊達男」


6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

概要

日本を代表するプログレッシヴ・ロック・バンド[2]
音楽的特徴

幾度かのメンバー交代の影響もあり、必ずしも一定ではない。初期の特徴としては、当時最先端のプログレッシブ・ロックハードロックサイケデリック・ロックの影響を多大に受けた多様なサウンド、作詞家の末松康生のノスタルジックで非現実的な詞世界、時には10分以上にも及ぶ大作主義が挙げられる(「一触即発」、「おまつり」、「泳ぐなネッシー」等)。

森園勝敏に代わり佐藤ミツルが加入してからの『PRINTED JELLY』『包』は、佐藤のソフィスティケートされたヴォーカルと共に歌謡曲の要素が加わった比較的ポップな路線となり、また『NEO-N』や『DANCE』は佐久間正英のテクノエレクトロニカ志向が色濃く反映されている。初期と後期では殆ど別のバンドといってもよいほどそのサウンドは変化している。
メンバー
現在のメンバー

岡井大二(リーダー、ドラムス)

森園勝敏(ヴォーカル、ギター)

坂下秀実(キーボード)

元メンバー

中村真一
(ベース)

佐藤ミツル(ヴォーカル、ギター)

茂木由多加(キーボード)

佐久間正英(ギター、ベース)

来歴
結成 - 1971年

1969年、森園勝敏と岡井大二が高等学校在学時に出会い、彼らと中村真一を加えた「ザ・サンニン」として活動を開始。その後、坂下秀実が加入し「四人囃子」としての活動を始める。最初のポニーキャニオンからの再発シリーズのライナーによれば、当時の風聞では「18歳の若さでピンク・フロイドの大曲"Echoes"を完璧に演奏できるバンド」として、名の知れた存在だったという。

1973年に邦画のサウンド・トラック『ある青春/二十歳の原点』を発売しプレ・デビュー。このアルバムに収録の「夜」という曲はTHE・ALFEE高見沢俊彦作詞デビュー曲(クレジットはALFEE前身バンド・コンフィデンス名義)

1974年東宝レコードから『一触即発』を発売して本格的にメジャー・デビューを果たす。ファーストアルバムの発売後、キーボードの茂木由多加が参加。

1975年、脱退したベースの中村に代わって、のちに名プロデューサーとして名を馳せることになる佐久間正英が後任のベーシストとして加入[3][4]。5人体制でシングル『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ』(1975年)を発売する。

茂木が脱退した後、セカンド・アルバムの『ゴールデン・ピクニックス』(1976年)を発売する。しかし、アルバム発売後にフロントマンだった森園が脱退してしまい、バンド存続の危機に見舞われる[4]
佐藤ミツル在籍時

1977年に佐藤ミツルが新ヴォーカル&ギターとして加入しバンド活動の続行を決定、サウンドも大きく変化する。途中からバンドに加わった佐久間が楽曲の多くを手がけるようになり、その過程でバンドは次第にポップ/ニュー・ウェイヴ色を強めていき、その影響下にある『PRINTED JELLY』(1977年)、『包 (bao)』(1978年)といったアルバムを発表した[2]。脱退した坂下に代わって再び茂木をキーボードに迎え、アルバム『NEO-N』(1979年)を発売するものの、その後バンドは長らく活動休止する[5]
『DANCE』&『FULL-HOUSE MATINEE』 - 90年代

1989年、佐久間、岡井、坂下の3人で活動を再開し、アルバム『DANCE』を発売する[6]


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