森功至
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この項目では、声優について記述しています。ラグビー選手の同名の人物については「森功至 (ラグビー選手)」をご覧ください。

森勝治」とは別人です。

もり かつじ
森 功至
プロフィール
本名同じ[1][2](旧芸名:森 深雪〈もり みゆき〉)[3]
性別男性
出生地 中華民国浙江省(現: 中華人民共和国浙江省[4][5]
出身地 日本東京都中央区日本橋文京区大塚仲町(現:東京都文京区大塚[4]
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(78歳)
血液型B型[6]
職業声優俳優ナレーター[7]
事務所プラスワンカンパニー[6]
公式サイト ⇒森 功至|プラスワンカンパニー
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重175[6] cm / 65 kg

声優活動
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間1950年代 -
ジャンルテレビドラマ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

森 功至(もり かつじ、本名同じ[1](旧芸名:森 深雪〈もり みゆき〉[3])、1945年7月10日[4][9][10] - )は、日本声優俳優ナレーター[7]中華民国浙江省(現:中華人民共和国浙江省)生まれ[5]東京都中央区日本橋文京区大塚仲町(現:東京都文京区大塚)出身[4]。プラスワンカンパニー所属[6]
略歴

日本大学豊山高等学校[8]中退[3][注 1]

かつては、俳協劇団河青二プロダクション[11]、自らが代表を務めていたオフィスもり[12]に所属していた。
生い立ち

中華民国浙江省(現:中華人民共和国浙江省)で生まれ[5]、終戦の1ヵ月ほど前に父の腕に抱かれて、母に背負われて中国大陸を南、東に移動し、海に渡る[4]。終戦後の2歳くらいの時に親に連れられて故郷の東京都に戻り[13]、東京都中央区日本橋のビルの谷間に建てられていたわずか一間の掘っ建て小屋に住む[4]。父は建築関係の仕事を見つけて懸命に就職し、その後一家は東京都文京区大塚仲町(現:東京都文京区大塚)に焼け残っていた土蔵を買い取って転居[4]
キャリア

10歳の時にラジオドラマ『少年猿飛佐助』の主役の一般公募に親が応募するが、面接通知が届いたのが面接翌日で、ひどく落胆した[14]。それを見た親に連れられて児童劇団の入団試験を受け、児童劇団こじか[3]に所属[14]子役として活動した[14]。その時は意思はなく親が子供を役者に仕立てて、一儲けを企んでいんだと語る[10]。劇団入団後の初仕事はラジオドラマ『宇宙人類ノバ』の主役[3][15]。3年後、俳協の前身である太平洋テレビジョンに移る[14]。最初のアテレコは『ビーバーちゃん』のウォーリー役[3][4][5]。15-6歳のころにNHKの時代劇『黒百合城の兄弟』に少年剣士役でレギュラー出演から俳優活動を始める[3][4][14]。当時の少年少女ファンの憧れの的となり、NHKに「みゆきという女性が男役を演じているのか」という問い合わせの手紙が届いていたほど、みごとなボーイソプラノであり、美少年ぶりであったという[4]。しかし大人に言われるがままスタジオに行って演技の繰り返しから「この世界にいてもいいんだろうか」と不安になり、壁にぶち当たったりした[14]。それが原因で、何回か役者を辞めた時期があり、俳協でデスクやマネージャー[注 2]、『科学忍者隊ガッチャマン』放送終了後の1975年に30歳の時に金融会社のサラリーマン[注 3]をやっていた経験がある[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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