森内俊之
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 森内 俊之 九段
2018年7月28日
名前森内 俊之
生年月日 (1970-10-10) 1970年10月10日(53歳)
プロ入り年月日1987年5月13日(16歳)
棋士番号183
出身地神奈川県横浜市青葉区
所属日本将棋連盟(関東)
師匠勝浦修九段
弟子竹俣紅(退会)、野原未蘭
永世称号十八世名人(資格)
段位九段
棋士DB森内 俊之
戦績
タイトル獲得合計12期
一般棋戦優勝回数13回
順位戦クラスA級(22期[1]

2024年4月11日現在
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森内俊之の森内チャンネル
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チャンネル

森内俊之の森内チャンネル

活動期間2020年6月 -
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将棋

ゲーム

登録者数7.7万人
総再生回数982万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002022-12-07-00002022年12月7日時点。
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森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。

いわゆる「羽生世代」の一人で、デビュー直後から棋戦優勝を果たすなど活躍していたが、初タイトルは31歳での名人獲得と遅かった[2]。その後は竜王・名人を含む三冠を保持するなどタイトル戦でも活躍し、2007年には羽生善治よりも早く永世名人(十八世名人)の資格を得た[3][4]。2017年には順位戦でのB級1組への降級を受けて、46歳の若さで順位戦(名人戦)への参加資格を失うフリークラスへの転出を宣言した[5]。地元の青葉区での指導やYouTubeチャンネルの開設など、将棋の普及活動にも注力している[4][2]

日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2017年5月[6] - 2019年6月[7])を歴任した。
棋歴
プロ入りまで

将棋を始めたきっかけは、森内が小学校3年生の頃、学校の休み時間にクラスメート内で流行していた、いい加減な将棋遊びに参加したという、ありふれたものだった。だが、このゲームに魅力を感じた彼は父親に手ほどきを受け、正式な将棋を指すようになる。

家で将棋に熱中している森内の姿を見ていた彼の祖母は、あるとき、雑誌『将棋世界』を孫に渡した。『将棋世界』との出会いをきっかけに、森内は将棋の新しい世界を知り、将棋にのめりこんでいく。毎週土曜日に将棋会館で行われる将棋教室に通うなどし、本格的に将棋を学び始める。それから1年ほど経つと、各地のデパートで開催される将棋大会にも参加するようになった。

同学年の羽生善治と出会ったのはこの頃だった。最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。ある将棋大会で森内の初手▲5八飛に対し、羽生の△5二飛という出だしの将棋があった[8]

5年生の頃、奨励会試験を受験するか迷った末、「自分はまだ力不足」だと判断し、翌年に受験することを決意。同時に、「棋士になる」という目標が明確になり、勉強にも熱が入るようになった。

1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。このときの優勝者は羽生。同年12月、関東奨励会入り。同期合格者17名のうち、小学生は森内、羽生、郷田真隆の3名のみであった。この年度は受験者が多く、高い競争率であった。一次試験で郷田真隆と対局し勝ち、二次試験で当時唯一の女性奨励会員だった林葉直子女流王将と香落ちで対局し勝利している。

後に「島研」とも呼ばれた島朗六段主宰の研究会は、森内が二段くらいの頃に島に誘われ、森内が佐藤康光も紹介し始まった。島によれば、彼らには奨励会を抜けるための研究は必要なかったという。

1987年5月13日にプロ入り(四段に昇段)。三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。森内は、新人王戦最年少優勝記録(17歳0か月)を、2018年に藤井聡太が更新(16歳2か月)するまで保持していた[9]。なお、森内は新人王戦で通算3回優勝している。

また、第10回「若駒戦」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。
タイトル獲得

プロ入り早々頭角を現し、1988年6月11日と89年5月27日に行われた、第7回・8回の早指し新鋭戦で2連覇。決勝戦の対戦相手は両年とも羽生善治五段であった。さらには、全棋士参加の大型棋戦である全日本プロトーナメント(第7回、1988年度)において、谷川浩司名人と決勝三番勝負を戦い、2勝1敗で谷川名人を破り、優勝した(1989年3月13日)。18歳5か月での優勝は、新人棋戦を除く公式戦に於ける史上4番目の年少記録である[注釈 1]。1988年度の将棋大賞で新人賞を受賞。

プロ入り後も向上心は旺盛で、特に前述した島研では、森内と佐藤が四段に昇段した後、羽生も加わり、4人体制での練習対局と感想戦を中心にした研究が行われ、刺激し合いながらの精進が続いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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