森下 恵理(もりした えり) Nobori Eri(のぼり えり)
出生名登 恵里(のぼり えり)
生誕 日本 (1967-08-06) 1967年8月6日(56歳)
出身地北海道札幌市
ジャンルJ-POP
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル、キーボード
活動期間1985年 -
レーベルRVC(現BMG JAPAN)(1985年 - 1989年)
トイズファクトリー(1995年 - 2000年)
TOM RECORDS
森下 恵理(もりした えり、本名:登恵里[1][2]、1967年8月6日[1][2] - )は日本のシンガーソングライター、タレント。血液型はA型。 北海道札幌市出身[1]。4歳の時からピアノを、小学4年生から中学3年生の時までクラシックバレエを習う[2]。1981年、中学2年の時芸映の主催した「HIDEKI(西城秀樹)の弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション」にて応募総数55460名の中から準優勝となる。松本伊代のヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」を本選で歌い、サビの歌詞「伊代はまだ16だから」を一部変え「恵理はまだ14だから」と歌い、審査員の票を多く獲得したが、西城秀樹が石川秀美を強力にプッシュしたため準優勝にとどまった。 このオーディションがきっかけでスカウトされ、1985年6月21日、加藤和彦プロデュースによるシングル「ブルージン・ボーイ!」(RVC(現BMG JAPAN))でアイドル歌手としてデビュー。オリコンのウィークリーチャート最高位29位を記録した。キャッチフレーズは『齧じってごらん、エキゾチック・フルーツERI』。芸名の森下は、自身が尊敬するバレリーナの森下洋子にあやかる形で名付けた[2]。王道のアイドル路線で、新人賞レースや雑誌で売り出された。同期のアイドルだった本田美奈子、中山美穂、網浜直子、井森美幸らと親交があった。その後、自分で曲を書き始め、シングル「Blue Eyesを抱きしめたい」でシンガーソングライターとしての活動を開始する。また、天然のキャラクターが受け、『週刊ポップマガジン』や『歌謡びんびんハウス』の司会をはじめ、数多くのバラエティー番組に出演し、バラドルとしても活動した。矢沢永吉ファンを公言していたことがある[2]。1989年、結婚を機に芸能界を引退。この年に長男を出産。 1996年5月、Eriとして、トイズファクトリーよりシングル「強くなれる」で再デビュー。アレンジ、プロデュースも自身が担当した。EL-MALOとコラボしたこともある。 2000年にバンドmonejiを結成し、ライブを中心に活動。2005年にインディーズでアルバム『MONEJI』を発売したが、メンバーの音楽性の違いからバンドは解散。その後、Nobori Eriの名義でソロ活動を始める。2008年夏、自身レーベルTOM RECORDSを設立。 2013年6月5日、オリジナルニューアルバム『HARDflower』発売。同年7月26日、ソニー・ミュージックエンタテインメント・オーダーメイドファクトリーからアイドル歌手時代の全音源完全収録のベスト盤『森下恵理オールソングコレクション』がリリースされた。 2015年10月4日 オリジナルニューアルバム『Happy Ending Story』発売。 2020年6月21日 森下恵理デビュー35周年を記念して、YouTubeでライブ生配信『Nobori Eri TIME』スタート。 2022年7月10日 上記の生配信番組のタイトルを『Eri好み あなたの時間』にリニューアルオープン。 2023年4月2日 YouTubeライブ生配信が通算100回を迎える。 2023年8月30日 東京・木場 ライブハウスIFにて『Nobori Eri LIVE』開催。 2023年12月24日 『まいのアイドルメモリーズ年末感謝祭2023』にゲスト出演。アイドル時代の楽曲(4曲+アンコール1曲)を披露。(於:東京・四ツ谷SOUND CREEK DOPPO) 発売日タイトルA/B面カップリング作詞作曲編曲規格品番オリコン
略歴
ディスコグラフィー
森下恵理時代
シングル
最高位
RCAビクター
1st1985年
6月21日ブルージン・ボーイ!A面ブルージン・ボーイ!安井かずみ加藤和彦武部聡志RHS-20429位
B面秘密のダイアリー
2nd1985年
9月26日わたしは街のバレリーナA面わたしは街のバレリーナ安井かずみ加藤和彦武部聡志RHS-21933位
B面ふられて・フー・フー・国吉良一
3rd1986年
2月21日Hey!BabyA面Hey!Baby竹内まりや竹内まりや鈴木茂RHS-23255位
B面九月のERI秋元康松尾清憲
4th1986年
7月9日サマータイム・グラフィティA面サマータイム・グラフィティ湯川れい子加藤和彦国吉良一RHS-24745位