森下仁丹株式会社
Morishita Jintan Co.,Ltd.本社
種類株式会社
機関設計監査等委員会設置会社[1]
市場情報東証スタンダード 4524
森下仁丹株式会社(もりしたじんたん、Morishita Jintan Co.,Ltd.)は、大阪市中央区玉造に本社を置く医薬品製造企業である。略称は仁丹。コーポレート・スローガンは「百年人生を応援する」。 創業者の森下博が1893年(明治26年)2月11日に、大阪市東区(現・中央区)にて、薬種商「森下南陽堂」を創業したのが発祥である。1905年(明治38年)から今日まで発売され続けている仁丹の製造元としてその名を知られている。上部に人物が描かれている「仁丹」の商標で知られているが、描かれている人物は軍人ではなく、大礼服姿の外交官である[2]。商標の外交官は「健康を世界に運ぶ外交官に」という創業者の思いが込められている。 現在はかつての主力商品「銀粒仁丹」のコーティング技法を発展させることで開発した最先端のシームレスカプセル(継ぎ目のないカプセル)を用いた食品会社からの受託製造と、ビフィズス菌を使用した食品・化粧品、植物エキスを主成分とするダイエット食品・健康食品(栄養補助食品)の製造・販売を主な事業内容としている。銀粒仁丹の原料でもある生薬成分の研究にも力を入れており、それを生かした食品会社への原料の供給等も行い、最近では日本コカ・コーラへのローズヒップ・エキス供給のほか、デンマーク産ホットドッグ「ホールドバケット」の販売事業等もおこなっている。 みどり会の加盟企業であり、三和グループに属している[3]
概要
沿革1910年当時の幹部
仁丹創業5周年記念写真毒滅の広告。1904(明治37)年10月30日の大阪朝日新聞の広告に彩色を施したもの。
1893年(明治26年)2月11日 - 森下博により薬種商「森下南陽堂」として大阪市東区(現・中央区)に創業。
1900年(明治33年)2月 - プロイセン宰相ビスマルクを商標にした梅毒薬「毒滅」でその名を知られるようになる。
1905年(明治38年)2月 - 森下博薬房と改称し、懐中薬仁丹の販売を開始。
1921年(大正10年) - 子会社の「赤線検温器株式会社(現在のテルモ)」を設立し、体温計の生産販売を開始。
1929年(昭和4年)11月 - 「銀粒仁丹」を発売。
1936年(昭和11年)11月 - 森下仁丹株式会社に改組。
1961年(昭和36年)10月2日 - 東京証券取引所市場第二部および大阪証券取引所市場第二部に株式上場。
1964年(昭和39年)4月 - 井村屋製菓株式会社と業務提携(1964年8月に提携解消)。
1969年(昭和44年)8月 - 「梅仁丹」を発売。
1975年(昭和50年)10月 - 「グリーン仁丹」を発売。