森ビル株式会社
MORI BUILDING Co., Ltd.
本社(六本木ヒルズ森タワー)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
本社所在地 日本
〒106-6155
東京都港区六本木六丁目10番1号
六本木ヒルズ森タワー
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分37.43秒 東経139度43分45.25秒 / 北緯35.6603972度 東経139.7292361度 / 35.6603972; 139.7292361
森ビル株式会社(もりビル、英: MORI BUILDING Co., Ltd.)は、東京都港区六本木に本社を置く日本のデベロッパー・総合不動産会社である。
本社は六本木ヒルズ森タワー。港区を拠点としており、港区を中心とした東京都心部に複数の複合商業施設を有する。大型再開発施設であるアークヒルズや六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズ、商業施設のラフォーレ原宿や表参道ヒルズなどの運営などで知られる。
多数の関連会社・関連事業を擁した森ビルグループであったが、創業者であった森泰吉郎の死後、後継の不和により森トラストが分離・独立した(詳細は後述)。 本社を六本木ヒルズ森タワー(東京都港区)に置き、市街地再開発事業ならびに各種ビルの企画・開発・設計監理・営業・運営管理を主な事業としている。2003年(平成15年)に完成した六本木ヒルズや2006年(平成18年)に完成した表参道ヒルズなどは話題となり、一般にも広く知られる。また、日本国外では中国に進出し、初の海外プロジェクトである森茂大厦
概要
1993年に創業社長・森泰吉郎が死去したのち、次男森稔が社長に就任し、路線対立から三男森章の森トラストをグループから分離するなどして、2012年3月8日に亡くなるまで長らくトップ(会長)を務めた。森稔は、信奉するル・コルビュジエの思想に基づいて[3]、港区を中心とした東京都心部での衣・食・住・文化を一まとめとした職住近接型の総合的な街作りを行っている。森ビルは、密集している低層建築物を高層ビル化と地中化により垂直に集積させ、緑地面積と公開空地を確保する再開発手法をとっており、このようにして生み出した都市を「垂直庭園都市(バーティカルガーデンシティ)」と呼称している[4]。森稔の都市や文化に寄せる強い思いは森ビルの経営に大きく反映されており、かつてのセゾングループを強く意識しているとも指摘されている[5]。
また、市街地再開発に当たっては、自社の社員の手による地上げを行う数少ない不動産会社である(他に住友不動産も自社で地上げする)[注釈 1]。 元来、森家の生業は東京・芝の田村町(現在の港区西新橋)で営む米穀店であった。明治期に愛宕下(現在の港区新橋から西新橋にかけての地域)の江戸藩邸跡地に作られた貸家の差配を副業として始め、のちに借地権付建物の買収を進めて不動産賃貸業に進出した。関東大震災で、自宅および貸家のほとんどが焼失したが、以後太平洋戦争終結まで低額な底地を買い進め、2000坪あまりの土地を有していた[6][7]。 終戦後の1946年、家業を引き継いだ創業者森泰吉郎は、日本の地価が「等比級数的」に高騰することを予想し、預金封鎖の直前に引き出した資金をレーヨンに投資して得た利益などで虎ノ門周辺の土地を買い進めた[8]。その後も、港区を中心に土地の整理やビル建設に取り組み[9]、1955年(昭和30年)に森ビルの前身である森不動産を設立、翌1956年には泰成(現:森トラスト・ホールディングス)を設立して、4月に「西新橋2森ビル」[注釈 2]を竣工した。1957年(昭和32年)11月、「西新橋1森ビル[注釈 3]」を完成させ、以後、貸ビル業者として、竣工順に番号を付したナンバー・ビル(第○○森ビル)を新橋周辺に順次建設していった。
沿革