森の都(もりのみやこ)は、樹木が多い都市、付近に森林がある都市などを呼ぶ愛称である。類似の愛称には杜の都などがある。
これらの愛称は明治時代から見られるが、まちづくりのキャッチコピーあるいは都市計画の基本理念として公式に用いている市がある。高度経済成長期に急激に都市化が進展して緑地が減少する中、1968年(昭和43年)の都市計画法、1969年(昭和44年)の都市計画法施行令および都市計画法施行規則に基いて、各都市で都市計画が策定された昭和40年代半ば以降、議会の宣言文や条文にも見られるようになった。
また、日本語での森の都(杜の都)に相当する愛称を持つ都市が各国に存在する。 森の都(杜の都)に対応する英語として Forest City や City of Trees がある。これらの英称で呼ばれる都市を以下に列挙する。 Forest City と呼ばれる都市[† 2]国州都市 City of Trees と呼ばれる都市[† 2]国州都市
森の都
「森の都」を公式な愛称とする都市
熊本市( 日本・熊本県)1928年(昭和3年)制定の熊本県立第二高等女学校の校歌の歌詞に「森の都」と歌われている[1][2][3]。また、1930年(昭和5年)制定の熊本市歌の歌詞にも「森の都」と歌われている[4]。1972年(昭和47年)10月2日に熊本市議会が「森の都宣言」をした[5]。
金沢市( 日本・石川県)1932年(昭和7年)に作られた(旧制)第四高等学校中寮寮歌『巍々(ぎぎ)たる』に「森の都」と歌われている[† 1][6]。1974年(昭和49年)6月12日に金沢市議会が「緑の都市宣言」をし、その宣言文中に「森の都金沢」と記されている[7]。
自らを「森の都」と称することがある地方公共団体
(旧)高田市( 日本・新潟県上越市)(旧)高田市は「森の都」または「杜の都」と呼ばれ[8]、新潟県立高田高等学校で戦後占領期から歌われ始めた「高田の四季」の歌詞でも「森の都」とうたわれている[9]。1971年(昭和46年)に高田市は合併して上越市の一部となったが、「(旧)上越市民の歌」の歌詞に高田は「森の都」とうたわれた。現在、高田地区のみならず上越市全体を指して「森の都」「杜の都」と呼ぶ例も見られる[10]。
山梨県( 日本)「神武天皇祭」と同日開催の愛林日を受け継いだ「全国植樹祭」が、天皇および皇后が出席して1950年(昭和25年)に初めて山梨県甲府市片山恩賜林で開催された[11]。2008年(平成20年)4月1日?6月30日に開催された山梨県デスティネーションキャンペーンにおいて、『本県は都会の人々があこがれる「美しい山の都、森の都」』と表現した[12]ため、観光PRにおいてこの表現がその後も使用されている。
類似の愛称
「杜の都」 : 仙台市( 日本・宮城県)1909年(明治42年)に初めて「森の都」と記され、1916年(大正5年)に初めて「杜の都」と記れた[13]。1970年(昭和45年)9月22日に市が制定した「公害市民憲章[14]」に「杜の都」と記されて以降、市は同表記を公文書における統一表記として用いている[15]。1936年(昭和11年)発売の二葉あき子『ミス仙台』に歌われた「森の都」、1978年(昭和53年)発売のさとう宗幸『青葉城恋唄』に歌われた「杜の都」により、広く世に知られた。
「杜と水の都[16]」 : 盛岡市( 日本・岩手県)盛岡を指す雅称として「杜陵」があり、転じて「杜の都」とも言う。岩手県立盛岡第一高等学校の「学生歌 杜の都」(制定年不明)[17]や盛岡市立城西中学校の校歌(1962年(昭和37年)4月制定)[18][19]には「杜の都」と歌われている。ただし現在、市のウェブサイトでは「杜の都」は使っておらず、「杜と水の都」が使われている。
「青い森の都」 : 青森市( 日本・青森県)1986年(昭和61年)の「第三次青森市長期総合計画」の副題に用いられた[20]。
「賑わいと安らぎの杜の都」 : 真庭市( 日本・岡山県)平成の大合併で誕生した同市が、まちづくりの総合指針として2006年(平成18年)3月に制定[21]。2009年(平成21年)1月1日制定の真庭市市民憲章では「杜の都 真庭市」とも称し[22]、市の約8割を占める森林を生かした「環境杜市」(かんきょうとし)としての発展を期している[23][24]。
英語の愛称
アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド
メイン州ポートランド
イリノイ州ロックフォード
カナダオンタリオ州ロンドン
アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント
バーリンゲーム
クレアモント
チコ
ウッドランド