棋風
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棋風(きふう)は、将棋囲碁などのボードゲームにおける着手の特徴[1][2]。また、囲碁に関しては「碁風」と表記されることもある[3]
概要

二人零和有限確定完全情報ゲームでは、理論上は完全な先読みが可能ではあるが、現実的には指せる手の選択肢が多く、時間の制限もある。またゲームに対する棋士の考え方などにも影響されるため、同じ局面を同じ技量の棋士が検討しても指し方に違いが現れる。
将棋

将棋の場合、「居飛車党」と「振り飛車党」に大別され、双方を差しこなす棋士を「オールラウンダー」と呼ぶ。防御が上手い「受け」、攻撃を重視する「攻め」があり[2]、展開では序盤から素早く攻める「急戦派」、守りを固めてから戦いに入る「持久戦派」と区分される[2]

「居飛車党」と「振り飛車党」は後から変更しにくいため、子供の頃から始めるプロ棋士は大抵がそのままである[2]。現代のプロ棋士は勝率の高い居飛車党が多いが[2]広瀬章人中村太地のようにプロ棋士になってから振り飛車党に変更した者もいる[2]

定跡データベースを利用した序盤研究が盛んになるにつれ、それまでの人生観や美的感覚が反映された棋風ではなく、「データベース将棋」と称される、勝率や効率など合理性を追求した棋風も見られるようになっている。またコンピュータ将棋の能力がプロ棋士を超えてからは自身の棋譜を解析して問題点を洗い出したり、コンピュータが生み出した戦法(elmo囲いなど)を取り入れるなどしている。

プロ棋士の特徴的な棋風には「○○流」などのキャッチフレーズがつけられているが、これは原田泰夫が命名したものが多い。
代表的な将棋棋士の棋風
天野宗歩
江戸時代の棋士でありながら、隙あらば動く序盤のスピード感覚や、現代風の玉の囲いの使用など、現代の棋士と比べても遜色なく、最強棋士候補の一人。羽生善治も「歴史上、誰が一番強いと思いますか?」という質問に升田幸三と並べて天野の名を挙げ「今の目で見たらすごいスピード感溢れる将棋を指している。相手がのんびり指しているのでその圧倒的なスピードの違いがよく分かる。現代に現れてもすごい結果を残したのではないだろうか」と評しているのがよく知られる[4]
坂田三吉
21世紀以降は指されるようにもなった初手の端歩突きなど、当時にあって独創的な棋風が知られ、彼の棋風は当時「坂田将棋」という名称を生んだくらいの個性が強い将棋として知られた。家元制名人の師匠につき定跡を学び、軽やかな棋風だった関根金次郎にたいして、師匠をもたず我流の力将棋・喧嘩将棋などと言われるが、残された坂田の証言から強い美意識をもって将棋を指していたことが伺われている。升田幸三によると、その指し手も慎重きわまりない手筋だったという。
関根金次郎
棋風は自然流と称されるほど無理のない手で相手を追い詰めていく将棋で、明治から大正時代、攻め将棋が全盛の時代であったころに相手の攻撃を受けてたつ棋風が目立った棋士。
木村義雄
居飛車党。中盤の木村と呼ばれ、のちに「将棋大観」で自身の将棋理論を体系だてて整理し発表。角換わり将棋における「木村定跡」を開発。序盤から一気に終盤に突入する可能性のある腰掛銀はもともと戦後に持ち時間が短くなった棋戦用に木村を倒す為に若い世代が研究を重ねて生まれたが、持ち前の江戸っ子下町根性と誰もが天才と称するその聡明さで見事に自分の戦法として取り入れていく。
花田長太郎
居飛車党で理論に徹した鋭角的な棋風で寄せには定評があり、寄せの花田と称せられた。
土居市太郎
居飛車党で、その棋風と捌きの速度と指し手の合理性は近代将棋の母体ともなったと評される。
金子金五郎
居飛車党で、序盤の金子と称された理論派。
塚田正夫
居飛車党で、相手に屈したように見せながら猛然と反撃に転じる棋風は「屈伸戦法」と呼ばれている。特に若い頃は激しさがあり勝っても負けても異常に手数が短いという傾向がみられ、第6期名人戦の最終局では63手という超短手数で木村14世名人を倒し名人位を手中におさめている。
大野源一
振り飛車の神様の異名を持つ。軽快な棋風で知られ、三間飛車での捌きを得意とした。
升田幸三
オールラウンダー。大駒、特に角の使い方に独特の感性を持つ。局面を打開する逆転の独創性に富む。六段のころまではずっと相手の攻めを受ける将棋であったが、大山康晴が台頭すると、大山が同門ということもあって「攻めの升田、受けの大山」と称された。大山が全盛期を迎える頃からは、「新手一生」を座右の銘として掲げ、数々の新手、升田式石田流や升田式向かい飛車など数々の戦法・序盤戦術を生み出して対抗した。将棋大賞#升田幸三賞は氏に由来。
松田茂役
ツノ銀中飛車からの力戦を得意として「ムチャ茂」の異名をとった。大野源一と並ぶ現代振り飛車の祖といえる。
大山康晴
振り飛車党。若い頃は相居飛車も指したが、居飛車対振り飛車対抗形を得意としている。守りながら敵玉の距離を測るのが上手く、仕留めるときは一気に決めることが多い。囲いで守るよりも序盤は陣形全体のバランスで守り、中盤から徐々に駒を玉側に寄せていくのは独特の感性であり、囲いで守る代表の穴熊を苦にしなかった。羽生善治は大山の棋風について、深く読んで最善手を追求することをせず、大らかに指す棋風であると評している。
花村元司
元真剣師らしくオールラウンドプレーヤーで実戦派の棋士と知られ、棋風から「妖刀使い」の異名を持ち「花村流」はプロ棋士に恐れられた。一方で「ハッタリ将棋」と揶揄する向きも存在したが、それこそが自身の勝負観の表れであるとしてむしろ本人はその言葉を歓迎していたという。当時、大人しい定跡通りの手を指す棋士が多い中にあって、あえて定跡を外した難解な力将棋に持ち込むことで高い勝率を挙げていたほか、また終盤の力があり「終盤の入り口で2:8の差なら五分、3:7なら俺の勝ち」と豪語していた。
二上達也
居飛車の攻め将棋で、二上定跡として有名である相掛かりガッチャン銀戦法が知られる。相矢倉でも守りが薄い状態で攻め込み短手数で終局するため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負するので「寄せの二上」と呼ばれ、スピーディーな指し回しが大きな持ち味で、木村14世名人も二上のスピードの早い将棋を評価していた。塚田正夫からは自分とその師の花田長太郎とを足して二で割ったようだと称された。
内藤國雄
相振り飛車なども得意のオールラウンダーだが居飛車が多い。指し手のバリエーションが豊富で、「自在流」と呼ばれる。横歩取りの後手番で角を3三に上がり、飛車・角が高く舞う「空中戦法」で、升田幸三賞を受賞。江戸時代の古典将棋に精通し、昭和・平成期の棋戦に度々採用していた。
加藤一二三
居飛車党。良いと思った戦法を指し続けることが多い。代表的な例として矢倉3七銀や、対振り飛車における居飛車舟囲い急戦の礎を築き上げた。中でも対振り飛車用の棒銀は「加藤棒銀」と呼ばれるほど、棒銀にこだわりを持っている。序盤の研究も深く、「加藤流」の名がついたものが多い。先攻しながらも一気にいかずに柔軟に攻めを続けたり、受けつつ力を溜めて一気に攻撃に行くなど、斬り合いに強い。またNHK杯などの持ち時間の少ない早指し将棋も得意で、「一分将棋の神様」「秒読みの神様」との異名もある。
有吉道夫
師の大山康晴と違って居飛車党で「火の玉流」と称された攻め棋風で活躍。
山田道美
居飛車党で戦法の体系化を目指した学究派。特に対振り飛車研究の第一人者。打倒大山康晴を掲げ「山田定跡」を完成させた。
大内延介
豪快な振り飛車戦法を得意とし、特に中飛車で果敢に攻撃する棋風の振り飛車党で、矢倉も急戦矢倉中飛車を愛用し、ツノ銀中飛車や穴熊を得意としたが特に振飛車穴熊を駆使して「怒濤流」と呼ばれ、邪道視されていた穴熊をプロの戦法に昇華させて「穴熊党総裁」とも呼ばれた。


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