梶哲也
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かじ てつや
梶 哲也
プロフィール
本名能勢山 誠一(のせやま せいいち)
[1][2][3][4]
性別男性
出身地 日本東京府
死没地 日本埼玉県富士見市[5]
生年月日 (1926-05-12) 1926年5月12日
没年月日 (2005-08-22) 2005年8月22日(79歳没)
職業俳優声優
事務所テアトル・エコー(最終所属)[6]
公称サイズ(時期不明)[6]
身長 / 体重164 cm / 56 kg

俳優活動
活動期間1947年 -
ジャンルテレビドラマ舞台
デビュー作骨董商(『堕胎医』)[4]
声優活動
ジャンルアニメ吹き替え
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

梶 哲也(かじ てつや、1926年5月12日[1][2][7][8][9] - 2005年8月22日[2][8][9])は、日本男性俳優声優東京府(現・東京都)出身[2]。元テアトル・エコー劇団代表[10]・常務取締役[11]
来歴・人物

東京府北豊島郡板橋町(現 - 東京都板橋区)で生まれる[7]明治大学中退[3][注釈 1]。大学在学中に演劇に興味を持つようになり、大学を中退して[注釈 2]、1947年8月に劇団薔薇座に入団する[3][12]

菊田一夫作の『堕胎医』の骨董商役で初舞台[4]

俳優の北沢彪に師事し、劇団薔薇座の解散後の1951年テアトル・エコーの創立メンバーの一人として[12]、劇団内での発言力も強かった[3]。舞台では『表裏源内蛙合戦』『日本人のへそ』などに出演。プレーヤーズセンターに所属していた時期もあった[13]。1951年12月に東京氷川幼稚園内に設立された城北児童劇研究所の代表を村上幸雄、豊田君夫などと務めていた[14]

声優としてはテレビ草創期から活躍[3]。主に中年役や老人役、滑稽な役や屈強な男の役を演じることが多かった。仮面ライダーシリーズでは、多数の怪人役を演じた。

2005年8月22日、転移性脳腫瘍のため埼玉県富士見市の病院で死去。79歳没[5]
後任

梶の死後、役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任役名概要作品後任の初担当作品
龍田直樹コウモリボス『チキチキマシン猛レース』『チキチキマシン猛レース』3DO

出演作品
テレビドラマ

私は貝になりたい(1958年) - 刑事

不道徳教育講座 第12話「うんとお節介を焼くべし」(1960年)

三匹の侍 第6シリーズ 第11話「あゝ武士道」(1968年) - 用人

鬼平犯科帳 第64話「女の一念」(1970年)

日本任侠伝(語り)

一心太助

コートにかける青春

雑居時代(笠原教授)

太陽にほえろ!

第158話「顔」(1975年)

第199話「女相続人」(1976年)

第275話「迷路」(1977年)

第354話「交番爆破」(1979年)

第403話「罪と罰」(1980年)

第427話「小さな目撃者」(1980年)


無用ノ介

6羽のかもめ

俺たちの勲章 第11話(1975年) - 金物屋

俺たちの朝

俺たちは天使だ! 第16話(1978年) - 太平洋銀行支店長

気まぐれ本格派 第15話(1978年) - テレビ局員

映画

日本沈没(1973年) - 海洋学者[15]

舞台

堕胎医(1947年、劇団薔薇座) - 骨董商※能勢山誠一名義
[16]

若きこころの群像(1948年、劇団薔薇座) - 野本[17]

お前もまた美しい(1948年、劇団薔薇座) - 忠清[17]

恐るべき子供たち(1948年、劇団薔薇座) - 竹[17]

長崎の鐘(1949年、劇団薔薇座) - 川口助教授[18]

冷凍部隊(1949年、劇団薔薇座) - 三村[18]

地球は円い(1957年、劇団七曜会) - フラ・マリアーノ[19]

夜が追ってくる(1959年、テアトル・エコー) - 殺し屋[20]

新ハムレット(1960年、テアトル・エコー) - クローディアス[21]

日本人のへそ(1969年、テアトル・エコー) - 患者[22]

表裏源内蛙合戦(1970年、テアトル・エコー) - 三井高光[23]

うるわしのバカ娘(1970年、テアトル・エコー) -ラブラッシュ[24]


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