梯久美子
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梯 久美子(かけはし くみこ、1961年[1] - )は、日本ノンフィクション作家熊本県生まれ[2]

父は陸軍少年飛行兵学校在学中に敗戦を迎え、戦後は自衛官北海道札幌藻岩高等学校北海道大学文学部国文学科卒業。

1984年[3]サンリオに入社して、編集者となる[4]。1986年に退社して女友達と、編集・広告プロダクションを起業[4]

2001年よりフリーライターとして「AERA」などにルポルタージュを執筆。丸山健二のすすめで執筆した[4]「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」で、2006年第37回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2014年から大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(単行本部門)。

2017年『狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ』で第68回読売文学賞(評論・伝記賞)、第67回芸術選奨文部科学大臣賞、第39回講談社ノンフィクション賞受賞。
目次

1 エピソード

2 著書

3 出典

4 参考

エピソード

サンリオ社の雑誌『詩とメルヘン』に、高校生のころから詩を書いて送るようになり、何度も掲載される。上京後、『詩とメルヘン』の編集長やなせたかしのもとで、編集者として薫陶を受ける[5]。作家デビューの後、喜んだやなせに招かれた雑誌対談で、その戦争体験や弟のことを知る。
著書

散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社、2005年 / 新潮文庫、2008年)

『世紀のラブレタ?』(新潮新書、2008年)

『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(角川書店、2009年 / 角川文庫、2011年)

『昭和の遺書―55人の魂の記録』(文春新書、2009年)

『昭和二十年夏、女たちの戦争』(角川書店、2010年 / 角川文庫、2012年)

硫黄島 栗林中将の最期』(文春新書、2010年 / 文春文庫、2015年)

『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』(角川書店、2011年 / 角川文庫、2013年『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』に改題・増補)

『TOKYO初夜ものがたり』(角川書店、2012年)

『百年の手紙―日本人が遺した言葉』(岩波新書、2013年)

『猫を抱いた父』(求龍堂、2013年)

『声を届ける―10人の表現者』(求龍堂、2013年 / ちくま文庫、2018年『好きになった人』に改題・増補)

『カラー版 廃線紀行 もうひとつの鉄道旅』(中公新書、2015年)

『勇気の花がひらくとき やなせたかしアンパンマンの物語』(フレーベル館、2015年、ISBN 978-4-577-04305-9

『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社、2016年 / 新潮文庫、2019年)

原民喜―死と愛と孤独の肖像』(岩波新書、2018年)

出典^『愛の?末』 梯 久美子さん (文芸春秋) - 西日本新聞
^梯久美子 『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道―』 。新潮社
^ 『声を届ける―10人の表現者』の著者紹介に、退社の2年前に入社とある。
^ a b c “山形小説家・ライター講座『その人の素顔』第83回 梯久美子(ノンフィクション作家)×池上冬樹(文芸評論家)トークショー”. ピクシブ文芸. 2018年8月22日閲覧。
^ 『勇気の花がひらくとき』p134

参考

新潮社

典拠管理

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更新日時:2019年12月7日(土)15:37
取得日時:2019/12/23 02:06


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