梅田貨物駅
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梅田信号場
梅田貨物駅があった頃の写真
うめだ
Umeda

新大阪 (3.8 km) (0.9 km) 福島

所在地大阪府[[[大阪市]]北区大深町2-25.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度42分13.38秒 東経135度29分35.63秒 / 北緯34.7037167度 東経135.4932306度 / 34.7037167; 135.4932306 (梅田信号場)座標: 北緯34度42分13.38秒 東経135度29分35.63秒 / 北緯34.7037167度 東経135.4932306度 / 34.7037167; 135.4932306 (梅田信号場)
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線東海道本線支線(梅田貨物線
キロ程9.1 km(吹田(タ)起点)
電報略号ウタ
駅構造地上駅
ホーム3線
開業年月日1928年昭和3年)12月1日
廃止年月日2023年令和5年)2月12日
備考信号場のため旅客扱いなし。
* 2013年(平成25年)4月1日をもって貨物駅としての業務を停止、梅田信号場に改称。
** 2023年令和5年)2月11日の終電を以って梅田貨物線の地上線の使用を終了。終日運休を伴う線路切り替えを経て2月13日の始発から梅田貨物線の地下線が使用を開始したため、線路切り替えが実施された2月12日から当信号場を列車が通過しなくなった。
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梅田信号場(うめだしんごうじょう)は、かつて大阪府大阪市北区大深町にあった、西日本旅客鉄道(JR西日本)の信号場

吹田貨物ターミナル駅(同駅開業以前は登記上吹田駅)より新大阪駅を経由し、大阪環状線福島駅(実質的には西九条駅)に至る東海道本線の支線(通称:梅田貨物線および梅田線)上に位置していた。

この項目では、当信号場の前身であり、2013年まで存在した日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である梅田駅(通称梅田貨物駅)についても解説する。
歴史

もともと大阪駅では、旅客・貨物の両方を取り扱い、かつ車両基地としての機能も併設しており、大正時代には各種の機能を持った設備が駅に混然と存在していて駅のこれ以上の容量拡張が困難になってきていた。このため大阪駅の改良計画が立てられ、旅客・貨物分離が行われることになった。これにより旅客の大阪駅は高架化され、貨物についてはその北側に移転することになった。吹田操車場からの連絡線と一緒に工事が行われ、1928年12月1日に開業している。また、大阪市内の河川を通じた水運と連絡するために大阪駅南側に既設だった貨物駅とドックを流用するため、大阪駅高架下をくぐって南側へ線路を延ばす工事と、逆に掘割を北側まで延ばして船が入れるようにする工事が行われ、1934年に従来の大阪駅での貨物扱いが終了して梅田駅に集約された[1]。この年の6月1日付けで宮原機関庫大阪分庫が廃止され、同時に吹田機関庫梅田分庫が創設された。

戦後、1959年に汐留駅との間でコンテナ輸送専用列車「たから号」の運転が開始され、これに合わせて南地区に日本で初めてのコンテナホーム、コンテナ検修設備などが設置された。さらに北地区に新3号プラットホームが建設された。このホームは、線路の片側を地面の高さのホーム、もう片側を高いホームにしており、貨車の両側から荷役を行うことができるようにされたものであった。また巨大な貨物上屋で全体が覆われていて、これは2012年当時においても使用されていた[1]

国鉄分割民営化に伴い、都心に位置する梅田駅は日本国有鉄道清算事業団(後の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の所有とされ、土地を売却して国鉄長期債務の返済に充てられることになった。これに伴い梅田駅の機能は吹田操車場跡地に移転する計画となったが、移転先の反対運動などを受けて遅延していた。その後、吹田操車場跡地と百済駅に半分ずつ移転させる計画に変更され[1]、1999年1月に移転に関する基本協定書が締結された[2]。2005年7月に先行区域の更地化工事に着手され、これにより6.7ヘクタールの更地化が2008年3月に完成した[2]。2012年12月、JR貨物は吹田貨物ターミナル駅・百済駅への機能移転の2013年春完成により梅田駅(貨物)は2013年3月16日ダイヤ改正をもって営業終了すると発表した[3]。列車の設定はダイヤ改正時点でなくなるが、駅自体の正式な廃止は4月1日となる[2]

駅廃止後、先行区域に建設が進められていたグランフロント大阪は、2013年4月23日に報道関係者等向け内覧会が[4]、4月26日に正式に街開きが行われた[5][6]
年表梅田貨物駅(1962年)新3号貨物ホーム(1966年)

1874年明治7年)12月1日:大阪駅において貨物の取扱いを開始。

1928年昭和3年)12月1日:大阪駅の貨物設備が独立し、梅田駅として開業。ただしこのときは大阪駅と同一駅扱い。

この頃、住民の訴えにより全長約200メートルの梅田駅地下トンネルが竣工。


1934年(昭和9年):梅田南駅関連の工事が完成して大阪駅の貨物扱い廃止。

1942年(昭和17年)4月1日小荷物の取扱を開始。

1954年(昭和29年)9月1日:小荷物の取扱を廃止。

1959年(昭和34年)11月5日:南構内にコンテナホームを整備し、汐留駅 - 梅田駅間に日本初のコンテナ輸送専用列車「たから号」が運転開始。

1960年(昭和35年)10月:新3号ホーム使用開始[2]

1961年(昭和36年)4月6日:大阪駅と別の営業キロを設定。

1962年(昭和37年)8月:掘割水路を閉鎖[2]

1965年(昭和40年)10月1日:小荷物の取扱を再開。

同年、掘割を埋め立ててコンテナホームを増強。


1966年(昭和41年)10月:新4号ホーム竣工[2]

1967年(昭和42年)4月:新5号ホーム竣工[2]

1969年(昭和44年)10月:梅田貨物線電化完成[2]

1972年(昭和47年)3月:西構内の小口混載ホームおよび荷物ホームを整理してコンテナホームを増設[2]

1982年(昭和57年)11月:南コンテナホーム使用停止[2]

1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取扱を廃止。

1987年(昭和62年)

4月1日:国鉄分割民営化により、日本国有鉄道清算事業団が土地を承継、営業は日本貨物鉄道が承継した[2]。同年、移転・売却が決定した。

11月:ピギーバック輸送開始[2]


1994年平成6年)9月4日:梅田貨物線に関空特急「はるか」が運行開始。

2000年(平成12年)

3月:2号ホーム撤去[2]

8月:1号ホーム撤去[2]


2001年(平成13年)11月:構内にあった梅田貨車区を吹田機関区へ移転統合[2]

2005年(平成17年)7月:先行区域の更地化着工[2]

2008年(平成20年)3月:先行区域更地化完成[2]

2012年(平成24年)3月:紙専用車扱列車をコンテナ化[2]

2013年(平成25年)

3月16日:吹田貨物ターミナル駅、百済貨物ターミナル駅へ機能を移転し梅田駅への貨物列車設定を廃止[2]

4月1日:梅田駅廃止[2]。残された行き違い設備はJR西日本に移管、西九条駅管理梅田信号場となる。


2019年令和元年)

梅田貨物駅跡地で梅田貨物線の地下駅である北梅田駅(仮称)が着工される。


2020年(令和2年)

3月25日:北梅田駅(仮称)が大阪駅の地下ホーム(うめきたエリア)となることが発表される[7]


2023年(令和5年)

2月12日:梅田貨物線の地下線への切り替えに伴い、この日を以って梅田信号場は使用停止。

2月13日:梅田貨物線を地下線へ切り替え。大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)開業までは、同ホームを信号場と同じ扱いで運用する。

3月18日:大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)開業。特急「はるか」・「くろしお」とおおさか東線の列車が同ホームに発着。


梅田貨物駅新3号プラットホーム(丸ルーフの貨物上屋

この駅は「梅田駅」が正式名称だが、阪急電鉄阪神電気鉄道地下鉄御堂筋線梅田駅などと区別するため、梅田貨物駅、梅田北ヤードとも呼ばれていた。営業当時は一部のコンテナ車の常備駅に指定され、常備貨車にはJR貨物関西支社梅田駅を意味する「西ウタ」と表記されていた。

駅敷地の再開発計画に伴い、2013年3月16日のダイヤ改正より梅田駅の機能は関西本線百済駅(百済貨物ターミナル駅に改称)と東海道本線吹田操車場跡地に新設された吹田貨物ターミナル駅に移転され、同月末日を限りで廃止された[2][8]。その後の跡地は、商業施設グランフロント大阪」及び「グラングリーン大阪(建設中)」として活用されている。

なお移転に伴う問題については大阪駅北地区#貨物機能移転問題を参照のこと。
駅構造

地上駅で、2013年の運用終了直前の時点では到着線2本、着発線4本、出発線4本、荷役線10本、コンテナホーム3面、敷地面積は17ヘクタールであった[2]

1968年(昭和43年)9月に建設された駅舎は老朽化が進んでいるが、移転が決まっていたので改修はなされなかった。そのため、所々傷みが出てきており、特に9月前後は台風などにより被害を受けている。駅舎のほか、駅構内にはJR貨物の大阪営業支店が設けられている。

新3号プラットホームの上屋は、延長220メートル、スパン61メートルにもおよぶ巨大なもので、ダイヤモンドトラス工法を用いて内部に柱を一切設けない構造で1960年(昭和35年)10月に完成した。南側50メートルは先行工事に伴い撤去されているが、完成から50年を経てもなお建築関係者が見学に来ることがある構造物である[2]

かつてはさらに規模が大きく、道路を踏切で横断して大阪駅高架下を抜けた場所にも5面7線のコンテナホームが1982年まで存在した。またここから分岐して大阪中央郵便局への引き込み線も延びていた。この場所を指して通称梅田南貨物駅と呼んでいた。大阪貨物ターミナル駅に機能を移行して梅田南貨物駅は廃止となり、跡地はオオサカガーデンシティとなっている[9]。なお、この箇所は初期の大阪駅貨物施設の跡で有るだけでなく、明治初期に存在した安治川駅への貨物線の代替となる淀川から引き込んだ堀が有った箇所でもある。

梅田駅駅舎(2007年12月)

阪急中津駅付近から梅田貨物駅を眺める


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