梅沢由香里
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よしはら ゆかり
吉原 由香里
吉原由香里(2007年)
生誕 (1973-10-04) 1973年10月4日(50歳)
日本 東京都立川市
出身校慶應義塾大学環境情報学部
職業囲碁棋士
配偶者吉原慎也
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吉原 由香里(よしはら ゆかり、結婚前の実名は 梅沢 由香里、うめざわ ゆかり、1973年10月4日 - )は、日本棋院所属の囲碁女流棋士である。芸能事務所アイント所属。

2002年平成14年)結婚後も日本棋院への登録名旧姓のままだったが、2011年平成23年)4月1日に変更[1]
経歴

1985年 12歳で
全日本女流アマチュア囲碁選手権大会8位

1987年 加藤正夫九段に入門、2月に日本棋院の院生となる。

1993年8月 全日本学生本因坊戦3位

1994年5月 全日本アマチュア本因坊戦東京都大会優勝(初の女性優勝)

1994年11月 第5回国際囲碁アマチュア・ペア囲碁選手権大会で、坂井秀至とのペアで優勝

1995年3月 全日本女流アマチュア囲碁選手権大会3位

1995年12月 女流棋士特別採用試験(プロ試験)合格

1996年3月 慶應義塾大学環境情報学部卒業

1996年4月 入段

1998年7月 二段

1999年8月 三段

消防庁の危険物安全週間(6月第2週)キャンペーンポスター「危険物 一手先読む 確かな点検」に起用される。


2000年6月 四段

2002年1月 プロサッカー選手の吉原慎也と結婚。

2002年9月 五段

2002年 第4期女流最強戦準優勝

2003年 第24期女流鶴聖戦準優勝

2004年 第22回テレビ囲碁番組制作者会賞受賞

2005年5月 国際囲碁連盟理事就任

2007年2月 万波佳奈を2-1で降し、初タイトルとなる女流棋聖を獲得。

2007年4月 東邦大学理学部情報科学科客員教授に就任。

2008年2月 向井千瑛を2勝0敗で降し、女流棋聖を初防衛。

2009年2月 加藤啓子を2勝1敗で降し、女流棋聖3連覇。

2009年6月24日 「梅沢由香里流 SUZUKI囲碁講座」が開設。

2010年1月 女流棋聖戦で、挑戦者謝依旻女流本因坊女流名人に0勝2敗で失冠。ペア碁選手権戦高尾紳路とのペアで優勝。

2010年4月14日 - 7月14日 慶應義塾大学総合政策学部環境情報学部非常勤講師(「囲碁」担当)

2010年7月 第29期女流本因坊戦で、挑戦者決定戦に進出。

2011年1月 第14期女流棋聖戦でタイトル挑戦手合に進出。謝依旻女流三冠に0-2で奪還ならず。

2011年3月 第1子(長男)を出産

2011年4月 棋士名を婚姻後の本名である吉原由香里に改める。

2011年12月 第15期女流棋聖戦挑戦者決定戦進出。

2013年2月 六段に昇段 (勝数規定)

2016年2月 第19期女流棋聖戦のタイトル挑戦手合に進出し、謝依旻女流棋聖に0-2で敗れる。

人物

東京都立川市出身。共立女子第二中学校・高等学校を経て[2]慶應義塾大学環境情報学部卒業[3]

加藤正夫名誉王座門下であり、手厚い棋風で知られる。また、集英社発行誌『週刊少年ジャンプ』で連載された漫画ヒカルの碁』を監修する[4]など、囲碁の普及活動を行っている。囲碁に関するテレビ番組出演も多いほか、NHK大河ドラマ『篤姫』でも囲碁指導を行った[5]
来歴

囲碁との出会いは小学校一年生の時。父が子どもの日に、「お父さんと一緒に始めよう」と碁盤をプレゼントしてくれたのがきっかけだった。14歳の時、自分にはこの道しかないと悟り、大学4年の12月に女流棋士特別採用試験(プロ試験)に合格する[6]

22歳でプロ入りした後、NHK杯トーナメントの司会を2年間務めたことで、注目を浴びた[7]

2002年平成14年)女流最強戦での準優勝、2003年平成15年)にはこの年で最後の開催となった女流鶴聖戦で準優勝とタイトルに手が届きそうで届かない状況が続いたが、2007年平成19年)には女流棋聖のタイトルを獲得した(以後3連覇)。

2007年7月の時点では、女流棋士の中で、対男性の勝率が第1位(116勝98敗、勝率.542)。


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