梅本洋一_(映画評論家)
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梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 2013年3月12日[1])は、日本の映画批評家、元横浜国立大学教授(映画論、フランス演劇史)である。長期留学中に、パリ大学(第8大学)で芸術学博士を授与。帰国後、文学博士早稲田大学)を授与[要出典]。また、当初の執筆書籍には芸術学博士と書いていたことも多かったようだ[要出典]。
来歴・人物

1953年1月9日神奈川県横浜市出身[2]

1981年、28歳のとき、『視線と劇場』で「第二回ダゲレオ出版評論賞」を受賞、日本の映画批評界にデビューする。留学先のパリから帰国した1980年代初頭、東京日仏学院で「梅本洋一の木曜シネクラブ」を開き、『月刊イメージフォーラム』(ダゲレオ出版刊)で同名の連載を開始。

1983年3月、『夜想』誌8号(ペヨトル工房刊)で「亡命者たちのハリウッド」を責任編集する。

1983年10月、同学院で映画論の講座を開始、2005年まで継続した。

1984年、『夜想』誌11号で「ヌーヴェル・ヴァーグ25」を責任編集。アテネ・フランセ文化センターでの上映や雑誌への執筆を通じて、ヴィム・ヴェンダース、あるいはジャック・ドワイヨンらの映画作家を精力的に紹介する。またフランスの『カイエ・デュ・シネマ』誌にも執筆する。学習院大学早稲田大学中央大学東京大学、東京芸術大学大学院等の非常勤講師を歴任する。

1991年、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』を責任編集により創刊(フィルムアート社、のち勁草書房、現在休刊中)、また『nobody』誌の編集に協力した。

2012年10月から2013年3月放送分までNHKラジオの語学番組『まいにちフランス語』の講師を務め、木・金曜日の応用編の放送を担当した。講座名は「映画の話をしよう!」で、テキストではフランソワ・トリュフォーについての話題や、梅本自身によるフランス映画界の著名人へのインタビューが取り上げられた。[3]

2013年3月12日虚血性心不全により死去[1][2]。60歳没。
経歴

1976年
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業

1977年 早稲田大学大学院人文科学研究科演劇学専攻を経て、パリ大学(第8大学)へフランス政府国費留学生として留学後、博士号取得。帰国後、学習院大学仏文学科中央大学文学部にて非常勤講師として教壇に登る。(2009年まで)

1988年 横浜国立大学教育学部助教授 (1988年10月 - 1997年9月)

1997年 同教育人間科学部助教授 (1997年10月 - 1999年4月)

1999年 同教授 (1999年4月 - )

2011年 同大学院環境イノベーション学府教授兼任(2011年4月 - )

著書

『映画は判ってくれない - The motion picture』フィルムアート社
、1984年

『映画のたのしみ』青土社、1984年

『大いなる映像 - ENTRETIENS』第三文明社、1986年 ISBN 4476031269

『視線と劇場』弘文堂、1987年 ISBN 4335150199

『映画はわれらのもの』青土社、1987年

サッシャ・ギトリ - 都市・演劇・映画』勁草書房、1990年 ISBN 4326851082


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