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梅 成(ばい せい、? - 209年)は、中国後漢時代末期の武将。揚州廬江郡の人の可能性が高い。 姓名梅成 ?山(せんざん)を根拠地にして活動した、後漢末の群雄の1人である。 曹操が荊州を平定した頃、梅成は盟友の陳蘭と共に、?族の居住地で曹操に対して反乱を起こした。まもなく曹操軍の于禁・臧覇の征討を受け、梅成は一旦降伏したが、すぐに?山へ逃げ込んで陳蘭と合流した。?山は険阻な要害であり、また孫権軍の韓当の援軍も受けたが、梅成・陳蘭は曹操軍の張遼の猛攻に敗北し、共に斬首された。建安14年(209年)の事である。 なお、建安5年(200年)に数万人の兵を集めて長江・淮河一帯で暴れまわった人物に、陳蘭・雷緒(雷薄の事か、あるいは雷薄の縁者か)の他、梅乾という人物がいる。この人物は梅成と同一人物か、または血縁人物の可能性がある。 小説『三国志演義』には登場しない。
生涯
時代後漢時代
生没年生年不詳 - 建安14年(209年)
字・別号〔不詳〕
本貫・出身地等揚州廬江郡?
職官〔不詳〕
爵位・号等-
陣営・所属等〔独立勢力〕
家族・一族〔不詳〕
参考文献
『三国志』魏書17張遼伝、楽進伝、于禁伝、張?伝
同魏書15劉馥伝
『資治通鑑』巻66漢紀58
更新日時:2018年1月8日(月)10:45
取得日時:2018/08/14 00:58