梅宮大社
拝殿(手前)と本殿(右奥)
所在地京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分15.02秒 東経135度41分41.67秒 / 北緯35.0041722度 東経135.6949083度 / 35.0041722; 135.6949083 (梅宮大社)
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、京都市右京区梅津フケノ川町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社で、旧社格は官幣中社。現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「梅宮神社」。神紋は「橘」。 京都市西部の梅津の地に鎮座する、四姓(源平藤橘)の1つの橘氏の氏神として知られる神社。元々は奈良時代に南方の綴喜郡井手町付近に創祀されたといわれ、のち平安時代前期に橘嘉智子(檀林皇后)によって現在地に遷座したとされる。 現在地への遷座に関わった橘嘉智子は、嵯峨天皇(第52代)の皇后として仁明天皇(第54代)を出産し、外戚としての橘氏の中興に貢献した人物である。社伝では、橘嘉智子には子がなかったが梅宮神に祈願したことで皇子を授かったといい、その伝承に因んで現在も子授け・安産の神として信仰される。また祭神の名から酒造の神としても信仰されており、酒にまつわる多くの神事が現在も行われている。そのほか、梅宮大社の例祭は「梅宮祭」として古くから知られ、特に平安時代当時には古雅な祭として有名であった。 現在の社殿のうち、本殿・拝殿・楼門・境内社若宮社・境内社護王社の5棟は江戸時代の造営であり、京都府登録有形文化財に登録されている。 現在の祭神は、次の本殿4柱・相殿4柱の計8柱[1]。相殿4柱は仁寿年間(851年-854年)の合祀という[1]。 本殿4柱[1] 酒解神 梅宮大社で本殿に祀られる酒解神を始め4柱は、いずれも梅宮大社特有の神である。神名の初見は酒解神・大若子神・小若子神は承和3年(836年)[原 1]、酒解子神は承和10年(843年)[原 2]になる[2]。特に主神である酒解神については、「サカトケ」の字義を「辟解」として悪霊を祓う神とする説、「堺解」として境界に居て悪霊を鎮める神とする説が挙げられるが不詳[2]。また神格としては、橘氏が奉斎したことから橘氏の祖神とする説のほか、大山祇神にあてる説があるが、こちらも明らかではない[3]。
概要
祭神
本殿
酒解神(さかとけのかみ) - 大山祇神(おおやまづみのかみ)にあてられ、酒造の守護神とされる[1]。
大若子神(おおわくこのかみ/おおわくごのかみ) - 瓊々杵尊(ににぎのみこと)にあてられる。
小若子神(こわくこのかみ/こわくごのかみ) - 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)にあてられる。
酒解子神(さかとけこのかみ) - 木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)にあてられる。
相殿
嵯峨天皇 - 第52代天皇。
橘嘉智子(檀林皇后) - 嵯峨天皇皇后。社伝では、梅宮大社に祈願して仁明天皇を授かったという。
仁明天皇 - 第54代天皇で、嵯峨天皇皇子。
橘清友公 - 橘嘉智子の父。
(括弧内は比定神)相殿4柱[1]
(数字は天皇代数)
(大山祇神)
大若子神
(瓊々杵尊) 酒解子神
(木花咲耶姫)
小若子神
(彦火々出見尊)
橘清友
52 嵯峨天皇 橘嘉智子
(檀林皇后)
54 仁明天皇
祭神について自玉手祭来酒解神社
(乙訓郡大山崎町)梅宮大社と同様に「酒解神」を祀る神社であり、関連が指摘される。