梅光学院中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度57分27.9秒 東経130度56分2.5秒 / 北緯33.957750度 東経130.934028度 / 33.957750; 130.934028
梅光学院中学校・高等学校(ばいこうがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)とは、山口県下関市丸山町二丁目にある私立中学校・高等学校。日本で6番目に創設されたミッションスクールであり設置者は学校法人梅光学院、現校長は樋口紀子。 Ut Filli Lucis Ambulate (光の子として歩みなさい) エフェソの信徒への手紙5章8節 キリスト教宣教師によって設立された学校であるため、キリスト教を用いた教育が行われ、毎朝、礼拝が行われるのが特徴。 2022年で創立150周年を迎えた。日本で6番目に歴史のあるミッションスクール。 授業は週5日制。 生徒の中には、海外にホームステイや海外留学する者もいる。なお、同一敷地内(同一校舎内)の梅光学院高等学校へは原則として進学でき、一部の部活などは高校とも連携、教員も中高を兼任する。 現在はキリスト教主義(プロテスタント)に基づく教育が行われている。英語に重点を置いた教育を行っている[要出典]。 下関、北九州エリアではいち早く、2015年よりICT教育を開始。現在生徒一人ひとりがiPadとApple Pencilを持ち、ほぼ全ての授業で活用が進んでいる。[要出典]。 2015年、関西学院大学との間に山口県内初となる協定校調印を行い、推薦入学の枠は国際学部や社会学部、教育学部など、11学部25枠を所有する。その他国際基督教大学や青山学院大学等、最難関私立大学への推薦枠を多数持つ、四年制大学への進学に実績のある学校である。 また、梅光学院高等学校に通う生徒は、梅光学院大学への進学が保障されており、梅光特別推薦制度を利用すれば特別な事情がない限り進学を認められる。 現在の制服のブランドはBEAMS SCHOOL product by KANKO。 世界に150店舗以上を展開する人気ブランドBEAMSの学生服ブランドである。 シャツやネクタイなどは青や赤のバリエーションがあり、組み合わせを変えて着こなすことができる。 また、女子生徒でもスラックスを選択することが可能。
校訓
概要
制服
旧制服
冬季
男子 紺学生服・指定長袖カッターシャツ・黒の単色ベルト
女子 紺セーラー
夏季
男子 指定半袖カッターシャツ
女子 白セーラー
カバン
学校指定のカバン
補助として他のも使用して良い
靴
通学靴 学校指定の黒ローファー
上靴 市販のもので、つま先部分が青色のもの
体育館シューズ 学校指定のもの
運動靴 白のシューズ
沿革
梅香崎女学校
1872年(明治5年)- アメリカ・オランダ改革派教会宣教師のヘンリー・スタウト夫妻、長崎市梅香崎(うめがさき)の私宅に私塾「スタージェス・セミナリー」を開設し、英語による聖書講義を開始。
東山学院 旧スチイル記念学校 スタージェス・セミナリー 手彩色絵葉書
1887年(明治20年)9月 - 大浦東山手に「梅香崎女学校」が開校。
1890年(明治23年) - 齋藤實徳が初代日本人校長に就任。
光城女学院
1879年 - 東京基督公会(アメリカ合衆国長老教会系)所属で東京一致神学校に在籍中であった服部章蔵、山口市に光塩学校開設。
1890年 - 光塩学校、広島市の広陵女学校を合併し山口英和女学校となる。
1892年 - 山口英和女学校、校名を光城女学院と改名。
梅光女学院
1914年 - 梅香崎女学校と光城女学院の合併校として下関梅光女学院が誕生。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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