梁 邦彦
基本情報
別名Yang Ban Ean
生誕 (1960-01-01) 1960年1月1日(64歳)
出身地 日本・東京都
学歴早稲田中学校卒業
早稲田高等学校卒業
日本医科大学 卒業
ジャンルJ-POP
ロック
職業キーボーディスト
作曲家
編曲家
担当楽器キーボード
活動期間1980年 -
レーベルポリドール
GEMMATIKA Records
SONY MUSIC Korea
WARNER MUSIC KOREA
ENDORF MUSIC
事務所ENDORF MUSIC
共同作業者浜田省吾
シャンバラ
公式サイト ⇒RYO KUNIHIKO
梁 邦彦
各種表記
ハングル:???
漢字:梁邦彦
発音:ヤン バンオン
日本語読み:りょう くにひこ
英語表記:
MR式:Yang Ban Ean
Yang Pang?n
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梁 邦彦(りょう くにひこ、1960年1月1日 - )は、韓国のピアニスト、作曲家、音楽プロデューサー[1][2][3]。東京都生まれ、在日韓国人2世[4][5]。韓国名および韓国でのアーティスト名は梁 邦彦(ヤン・バンオン、? ??、英: Yang Ban Ean)[6]。血液型O型。 1980年代半ばから浜田省吾のバックバンドなどで音楽活動を開始[1][2]。その後、1995年に甄子丹(ドニー・イェン)主演の香港・台湾合作TVドラマ「精武門」やジャッキー・チェン主演映画「デッドヒート(Thunder Bolt)」の音楽監督を担当したのを皮切りに、作曲家や音楽プロデューサーなどとして、主に日本や香港などの中華圏を中心にアジア地域のポップアーティストのアルバム制作やライブに数多く参加[1][2][7]。 特に浜田省吾の楽曲編曲や香港のロックバンドBEYONDのアルバム・プロデュースなどが知られる[1]。 その一方で、元カシオペアの櫻井哲夫&神保彰のバンド・シャンバラにも参加、1996年には日本でソロデビューを果たす[1][2][7]。 2002年に4thアルバム収録曲「Frontier!」が釜山アジア大会の公式テーマ曲に選ばれたのを機に、韓国でも大きく注目される[7]。 以後、東洋と西洋を融合させた世界観、韓国伝統音楽からクラシック、ロック、ジャズ、ワールドミュージックまで、ジャンルにとらわれない幅広い音楽性で日韓で多数のオリジナル・アルバムを発表する一方、映画、アニメーション、ドキュメンタリー、CM、ドラマ、オンラインゲームなど多岐にわたるジャンルの劇伴音楽を制作、そのサウンドトラック・アルバムも数多くリリース[1][2][4][7]。 朴槿恵(パク・クネ)第18代韓国大統領就任式祝賀公演(13年)、ユネスコ創設70周年記念公演(15年)、ソチ冬季オリンピック閉会式(14年)、平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックの開・閉会式(18年)などの公的行事で音楽監督を務めた[4][5][8]。 1960年1月1日、東京・下町、開業医の父親のもと、5人兄弟の末っ子として誕生[9]。6歳の頃からピアノを習い、中学時代はロックバンドでキーボードやギターを担当するなど、幼少期から多様な文化・音楽に親しみながら成長する[1][2]。専門職に従事することを願った父親の思いを受け医科大学に進学するが、在学中からプロのミュージシャンとして活動を開始する[1][2][10]。
人物
来歴
1981年
大学在学中よりキーボーディストとして様々なアーティストのツアーサポートや作曲家・音楽プロデューサーとしての活動を開始[3]。
1985年
大学卒業後、麻酔科医として都内の大学病院に勤務[3]。苦悩の末、1年で辞めて音楽の道に進むことを選択[9]。
1986年
浜田省吾のバックバンドに参加。以後、バンドメンバー・音楽プロデューサー・編曲家として約10年間にわたり活動を共にする[5]。
1989年
櫻井哲夫と神保彰によって結成されたシャンバラに参加。同年7月20日にアルバム『SHAMBARA』をリリース。
1995年
ドニー・イェン主演の香港スターTV放送のドラマ「精武門」やジャッキー・チェン主演の香港映画「デッドヒート」の音楽監督を担当。
1996年
アルバム『The Gate Of Dreams』でポリドール・レコードよりソロ・デビュー[4]。