慶尚南道 梁山市通度寺の大雄殿
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:梁山市
片仮名転写:ヤンサン=シ
ローマ字転写 (RR):Yangsan-si
統計(2023年)
面積:485.55 km2
総人口:355,122[1] 人
男子人口:177,596 人
女子人口:177,526 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:慶尚南道
下位行政区画:1邑4面8行政洞16法定洞
行政区域分類コード:?
梁山市の木:ヒトツバタゴ
梁山市の花:モクレン
梁山市の鳥:梁山市の鳥
梁山市(ヤンサンし)は、大韓民国慶尚南道の東部にある市である。市のブランドスローガンは「Active Yangsan」。 釜山広域市より北へ約25km、蔚山広域市より南西へ35kmと、2つの広域市の圏内に入っている。 市の中央北部に韓国100名山の1つである千聖山があり、山地が市の南端近くまで縦断している。このため市域はこれらにより東西の2つに大きく分かれている。西側は京釜高速道路が、東側は国道7号線が縦断している。 人口は2016年現在30万人ほどであり、年に7000?10000人ほど増加している。
概要
歴史
新羅のころは歃良州、統一新羅のころは良州と呼ばれていた。日本書紀の三韓征伐の場面の「草羅城」があった場所である。
当時の管轄は今の釜山から慶州・浦項・大邱に及ぶ一帯であった。
高麗時代に梁州に改められる。
1403年(李氏朝鮮太宗13年) - 梁山郡が改称した。
1896年 - 慶尚南道の所属になる。
1897年(高宗34年) - 面の改編により、梁山郡に以下の面が成立(9面)
梁山面・東面・上西面・下西面・上北面・下北面・左耳面・大上面・大下面
1906年(8面)
左耳面を東?郡に移管。
大上面・大下面
蔚山郡から外南面・熊上面を移管。
1912年4月1日 - 外南面が蔚山郡に返還。[2](7面)
1914年4月1日 - 郡面併合により、釜山府左耳面・北面の各一部、蔚山郡三同面の一部を編入。梁山郡に以下の面が成立。(7面)
梁山面・東面・上西面・下西面・上北面・下北面・熊上面
1936年4月1日(7面)[3]
上西面が勿禁面に改称。
下西面が院洞面に改称。
1973年7月1日 - 東?郡機張面・日光面・長安面・鼎冠面・鉄馬面・西生面を編入。[4](13面)
1979年5月1日 - 梁山面が梁山邑に昇格。[5](1邑12面)
1980年12月1日 - 機張面が機張邑に昇格。[6](2邑11面)
1983年2月15日 (2邑10面)
西生面を蔚州郡に返還。[7]
勿禁面の一部が梁山邑に編入。
1985年10月1日 - 長安面が長安邑に昇格。[8](3邑9面)
1986年
11月1日 - 機張邑・長安邑・日光面・鼎冠面・鉄馬面を管轄する東部出張所を設置。[9](3邑9面1出張所)
12月23日 - 梁山邑・東面の各一部が勿禁面に編入。
1991年11月20日 - 熊上面が熊上邑に昇格。[10](4邑8面1出張所)
1995年3月1日 - 東部出張所を管轄する機張邑・長安邑・日光面・鼎冠面・鉄馬面を釜山広域市に編入して機張郡となる。[11](2邑5面)
1996年3月1日 - 梁山郡が梁山市に昇格。(2邑4面3行政洞)[12][13]
勿禁面が勿禁邑に昇格。
梁山邑を廃止し、3つの行政洞(中央洞・三城洞・江西洞)に分割。
1998年4月1日 - 熊上邑に徳渓出張所を設置。[14]
2007年4月1日 - 熊上邑を熊上出張所に改編し、4つの行政洞(西倉洞・召周洞・平山洞・徳渓洞)を設置。[15](1邑4面7行政洞1出張所)
2008年1月10日 - 釜山都市鉄道2号線3段階延長区間(湖浦 - 梁山)が開通。