唐桟(とうざん[1][2][3]、とうさん[4][5])は、綿織物の一種[4]。細手の綿糸を用いた平織で[6]、細かな縦縞模様が特徴の一つとされる[2][7]。
もともと「唐桟」という語は、江戸時代に桟留縞(さんとめじま)と呼ばれる綿織物のうち輸入品を特に区別して用いられたもので[4][1][6]、「唐桟留」を略したものである[1]。のちにはこれに倣って日本国内で生産された上質品も「唐桟」と称するようになった[2]。こうした経緯により、現代では「唐桟」は「桟留縞」の別称となっている[7]。本項では、「桟留縞」やそれに類する名で呼ばれた織物も含めて解説する。
桟留縞
インド・サントメからの綿織物輸入「南蛮貿易」および「日印関係」も参照
「桟留縞」は綿織物の呼称で、「桟留嶋(島)」とも表記される[8][注釈 1]。
中世の日本には、東南アジア・南アジア方面から様々な布がもたらされた。南方から渡来した物品は「島もの」「島わたり」と呼ばれ[9]、布は「嶋織物」という呼称で呼ばれた[10](のちに「縞織物」という表記も現れるが、「縞」はもともと絹織物を示す漢字であった[11])。江戸時代初期の貿易制限(いわゆる「鎖国」)以後、南方の織物は、オランダ東インド会社の船や中国船によってもたらされることになる[12]。
これらの「嶋織物」は、生産地や積み出し港の地名で呼ばれた。たとえば、ジャワ島産とされる.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}咬??(じゃがたら)[注釈 2]、セイロン島産とされる錫蘭(せいらん)[注釈 3]、ベンガル地方産とされる弁柄(べんがら)[注釈 4]などがあり[12]、桟留(さんとめ)も「サントメ」[注釈 5]と呼ばれたインド南東部のコロマンデル海岸(主要な積出港としてチェンナイがある[5])に由来する[12]。
なお、線条文(ストライプ)を指す「しま(縞)」という日本語語彙は、「島わたり」の布(嶋織物)に特徴的な文様(「嶋模様」「嶋柄」)であったことから生じている[18][9]。それ以前の日本では、線条文は「すじ(筋)」などと呼ばれていた[18][9]。日本においては中世末期(桃山時代[18])から、縞模様の繊細な味わいを鑑賞する美意識が広がったようである[18]。布を織る上で、織り始めからの色糸の準備が必要な縦縞は、作業中に任意に色糸を投入することでも可能な横縞に比べて高度な技法であり[18]、江戸時代初期までは日本の織物の「縞模様」は大柄の横縞が多かったようである[18]。 江戸時代に入ると、縞柄の綿織物(縞木綿)が日本国内でも生産されるようになる。元和年間には伊勢松坂で縞木綿(松阪木綿)が生産されるようになった[19]。 享保年間には京都の西陣において、輸入品の桟留縞を模した織物(京桟留[20])を生産する技術が確立された。また、各地でも同様の織物が作られるようになった。尾西地方の尾州縞[21]、西濃地方の美濃縞[22]、武蔵国青梅の青梅縞(青梅桟留)[23]などである。
桟留縞の国産化と「唐桟留」