桟敷ヶ岳
標高895.9 m
所在地 日本
京都府京都市北区・右京区
位置北緯35度09分31.6秒 東経135度43分02.0秒 / 北緯35.158778度 東経135.717222度 / 35.158778; 135.717222
桟敷ヶ岳(さじきがたけ[1][2]、さじきがだけ[3])は、京都府京都市北区と右京区京北町の境界に位置する山。標高895.9mであり[1]、京都市北区の最高峰である。関西百名山に選ばれており、京都北山の代表的な山のひとつである[4]。桟敷ケ岳、桟敷岳[5]と表記されることもある。目次 京都市街地東部を流れる鴨川の源流は桟敷ヶ岳の山麓にあり[6]、桟敷ヶ岳は鴨川流域の最高峰である[7]。北麓からは鴨川の源流のひとつである祖父谷川が発し、南南東に流れる[1]。西麓からは清滝川の源流が発し[1]、南南西に流れて保津峡付近で桂川(保津川)に合流する。南東には鞍馬山(584m)や貴船山
1 地理
2 歴史
2.1 惟喬親王伝説
2.2 初登頂
3 交通・登路
3.1 交通
3.2 登路
4 ギャラリー
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 外部リンク
地理
北麓にある石仏峠は雲ケ畑から丹後地方に向かう古道が通じていた[1]。雲ケ畑から祖父谷峠を越える道は京の都と山国を結ぶ最短距離の道であり、昔から川魚や木炭などが宮中まで運ばれた[9]。さらに古くは峠を通るのではなく、雲ケ畑の岩屋谷から桟敷ヶ岳山頂を通って井戸祖父谷に下る「尾棧敷」と呼ばれる尾根道が使われた[10]。 惟喬親王が山上に高楼(桟敷)を構えて都を眺望したという伝説が山名の由来であるとされ[注 1][4][7][11][12]、山麓の雲ケ畑岩屋橋には惟喬神社がある。『山城名跡巡行志』では、山上にある池が指月や広沢池などとともに月の名所とされたが、現在は池跡が定かではない[2]。この地域には惟喬親王に関する伝承が多く残っており[3]、平家物語や歌舞伎などによれば惟喬親王は惟仁親王(後の清和天皇)と皇位を争って桟敷ヶ岳で相撲を行なったとされている[2][13]。惟喬親王の逸話が山名の由来であるとするのが定説だが、京都府の地名語源について詳しい沢潔は、「棧敷」とは「サシキ」であり焼畑地を表すのではないかとしている[14]。頂上付近には笹藪が生い茂っているが、「都笹」と呼ばれるこの付近の笹は惟喬親王が杖を逆さに立てたものが根付いたとする伝承がある[15]。
歴史 岩屋橋にある惟喬神社
惟喬親王伝説