日本の政治家櫻田 義孝さくらだ よしたか
ジュネーブにて(2014年)
生年月日 (1949-12-20) 1949年12月20日(74歳)
出生地 千葉県東葛飾郡田中村正連寺
(現:千葉県柏市正連寺)
出身校明治大学商学部
前職建設会社代表取締役
所属政党自由民主党(額賀派→無派閥→二階派→無派閥)
称号商学士
配偶者あり
子女あり
親族長男・桜田慎太郎(柏市議会議員)
公式サイト桜田よしたか公式ウェブサイト
桜田 義孝(櫻田 義孝[1]、さくらだ よしたか、1949年12月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党千葉県支部連合会長[2]。桜田建設会長。
東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第2次安倍内閣)、内閣府副大臣(第3次小泉改造内閣)、経済産業大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次森改造内閣《省庁再編後》)、衆議院消費者問題に関する特別委員長、衆議院厚生労働委員長、千葉県議会議員、柏市議会議員、自由民主党教育再生実行本部長、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党副幹事長、自由民主党経済産業部会長、自由民主党政務調査会副会長、自由同和会千葉県本部顧問などを歴任[3][4][5]。 千葉県東葛飾郡田中村正連寺(現:柏市正連寺)に生まれる(現住所も同じ)[6][7]。千葉県柏市立田中小学校、同田中中学校、千葉県立東葛飾高等学校普通科、明治大学商学部商学科卒業[8]。1976年に桜田建設を創立[6]。 柏青年会議所理事長、柏市議会議員(2期)、千葉県議会議員(1期)を経て1996年の第41回衆議院議員総選挙に出馬し、新進党の現職・長浜博行を破り初当選した[注 1]。以後、連続当選4回[6]。 2000年の第42回衆議院議員総選挙では、前回桜田に敗れた後に民主党に移った長浜に、続く2003年の第43回衆議院議員総選挙では同じく民主党の松崎公昭に敗れるも、いずれも重複していた比例南関東ブロックで当選した。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では小泉旋風の効果もあり、松崎に比例復活を許さないほどの票差で当選した。 この間、外務大臣政務官、経済産業大臣政務官、内閣府副大臣、衆議院厚生労働委員長を歴任。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では松崎に敗れ落選したが、2012年の第46回衆議院議員総選挙で松崎を再び破り当選し、国政に復帰[6]。2013年9月、文部科学副大臣に就任。2014年9月、額賀派を退会して無派閥となる[要出典]。同年の第47回衆議院議員総選挙では引退した松崎に代わり維新の党から出馬した元職の太田和美を破り6選(太田は比例復活)。2016年8月、自民党教育再生実行本部長に就任[9]。
経歴
生い立ち
政治家として東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当国務大臣として記者会見を行う桜田(2019年)2001年、コフィー・アナン国連事務総長と会談する桜田(左、ケニアにて)福島県福島市のあづま球場にて渡辺博道復興大臣、安倍晋三首相、トーマス・バッハIOC会長らと(左から4人目、2018年)内閣広報室より公表された肖像(2018年 撮影)特使としてクック諸島自治50周年記念式典に出席する桜田(2015年)タランギ・ニウエ首相と会談する桜田(2015年)ヘンリー・プナ・クック諸島首相と会談する桜田(2015年)