桜島駅
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桜島駅
駅舎(2019年2月)
さくらじま
Sakurajima

◄JR-P16 ユニバーサルシティ (0.9 km)

所在地大阪市此花区桜島一丁目2-5.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度39分42.97秒 東経135度25分55.8秒 / 北緯34.6619361度 東経135.432167度 / 34.6619361; 135.432167 (桜島駅)座標: 北緯34度39分42.97秒 東経135度25分55.8秒 / 北緯34.6619361度 東経135.432167度 / 34.6619361; 135.432167 (桜島駅)
駅番号JR-P17
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 桜島線(JRゆめ咲線)
キロ程4.1 km(西九条起点)
電報略号サマ
駅構造地上駅[1]
ホーム1面2線[1]
乗車人員
-統計年度-13,072人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1910年明治43年)4月15日
備考業務委託駅
みどりの券売機プラス設置駅
大阪市内
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桜島駅(さくらじまえき)は、大阪府大阪市此花区桜島一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜島線(JRゆめ咲線)の。駅番号はJR-P17。桜島線の終着駅である。
歴史

桜島駅の元になった天保山駅(てんぽうざんえき)を建設したのは、大阪駅から西九条駅を経由して天保山駅へ至る鉄道を建設した、私鉄の西成鉄道であった。

しかし、日露戦争に伴う軍事輸送の増大などもあり、安治川口駅から天保山駅へ至る区間を建設中の1904年(明治37年)12月1日に、西成鉄道の全線を国有鉄道が借り受けて運営するようになった[2]。この借受後、1905年(明治38年)4月1日に安治川口 - 天保山間1.0マイルが開業するが、開業と同時に国有鉄道借受となって営業された[3]。日露戦争後、1906年(明治39年)12月1日に正式に国有化されて、国有鉄道西成線の駅となった[2]。なお、駅所在地は当時すでに築地改め桜島町という町名になっていたが、駅名は安治川対岸にある著名な天保山から採られた。

天保山駅は現在の桜島2丁目、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのラグーンのあたりに位置しており、安治川岸からやや離れる天保山駅は船車連絡上不便であった。安治川岸に大阪鐵工所(のちの日立造船)がすでに立地していたためこのような位置での開業となったが、天保山駅開業時はまだ埋立造成中であった現在の桜島3丁目の造成が成ると、天保山駅の側線上約0.3マイル先の地点に新たに桜島駅を1910年(明治43年)4月15日に開設し、天保山駅は廃止となった[4]

頭端を桜島岸壁へ向けた桜島駅の開設後は、岸壁から陸揚げされる石炭・塩・輸入石油類・穀物・木材・肥料などの貨物を発送する拠点として利用されるようになった。1930年(昭和5年)1月には、鉄道省自身が付近に石炭専用岸壁を設置し、国鉄用の配炭基地とした。これにより石炭の輸送量も急増した。この頃には,辺りの岸壁や工場などに多くの専用線が張り巡らされ、一大貨物輸送基地となっていった。大阪港の特性上、各地から大阪港へ到着する貨物を後背地の工場や市場へ送り出す輸送が多く、戦時期をのぞいては,ほぼ一貫して発送量のほうが圧倒的に多い駅であった[5]

第二次世界大戦においては軍事輸送の増大から貨物輸送量が急激に増大したが、戦況の悪化に伴い、1944年(昭和19年)頃からは一転して激減するようになった。1945年(昭和20年)7月24日には空襲を受け、職員16名が死亡し、駅舎などが大きく損壊した。この復旧作業には1947年(昭和22年)5月までかかった[6]

旅客輸送においても、付近の軍需工場への通勤客の増大により、一時は1日5万人を超える乗降客を数えた時期もあった。大戦後は付近の日立造船への通勤客や港湾関係者などが利用し、これによりラッシュ時と閑散時の差が激しい駅であった[7]

こうして大阪港に関する貨物輸送で大きな役割を果たしてきた桜島駅であったが、モータリゼーションが進むにつれて鉄道貨物の凋落が顕著になり、1973年(昭和48年)3月には国鉄貯炭場も廃止となった。桜島駅における貨物取り扱いの廃止は、1986年(昭和61年)9月に国鉄から大阪市に打診され、10月一杯で貨物扱いを廃止した。跡地は日本国有鉄道清算事業団が引き継いで施設の撤去作業を行い、1988年(昭和63年)3月までにすべての用地を大阪市に返還した[8]
年表

1905年明治38年)4月1日西成鉄道安治川口駅から延伸し、その終着として天保山駅が開業。

1906年(明治39年)12月1日:西成鉄道が国有化官営鉄道の駅となる。

1909年(明治42年)10月12日線路名称制定。西成線の所属となる。

1910年(明治43年)4月15日:天保山駅が廃止。西方に桜島駅(一般駅)が開業[9]

1930年昭和5年)4月1日:メートル法施行により、安治川口駅との営業キロを1.3マイルから2.1 kmに改定。

1945年(昭和20年)7月24日:空襲により職員16名死亡、駅舎・施設が損壊。

1961年(昭和36年)4月25日大阪環状線全線開業に伴う線路名称改定により、桜島線の所属となる。

1966年(昭和41年)3月1日:東方へ500m、旧・天保山駅付近に移転。安治川口との営業キロは1.6 kmに改定される。

1985年(昭和60年)3月31日:構内の橋はかりを廃止[10]

1986年(昭和61年)11月1日:貨物の取り扱いを廃止。駅西側に広がる大阪港桜島埠頭へ至る多くの専用線が当駅から分岐していた。

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR西日本の駅となる。

1992年平成4年)11月1日:みどりの窓口営業開始。

1999年(平成11年)4月1日:ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)建設による安治川口駅 - 桜島駅間経路変更のため、100m南方へ移転[11]自動改札機を設置し、供用開始[12]。移転前は現在のUSJのサンフランシスコエリア付近に駅があった。

2001年(平成13年)3月1日:路線愛称の制定により、桜島線の当駅 - 西九条駅間で「JRゆめ咲線」の愛称を使用開始。

2003年(平成15年)11月1日:ICカードICOCA」の利用が可能となる[13]

2009年(平成21年)10月4日大阪環状・大和路線運行管理システム導入。

2013年(平成25年)12月5日 - 2014年(平成26年)3月:ロープ昇降式ホーム柵の試験が行われる[14][15]

2015年(平成27年)


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