桜塚やっくん
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「斎藤恭央」はこの項目へ転送されています。「斎藤安雄」あるいは「齋藤泰雄」とは別人です。

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}桜塚(さくらづか)やっくん
2007年4月16日撮影
本名斎藤 恭央(さいとう やすお)[1]
生年月日 (1976-09-24) 1976年9月24日
没年月日 (2013-10-05) 2013年10月5日(37歳没)
出身地 日本神奈川県横浜市[2]鶴見区
言語日本語
出身スクールJCA7期
コンビ名あばれヌンチャク(1999年 - 2005年)
相方竹内幸輔(コンビ時代)
芸風漫談
活動時期1997年 - 2013年
公式サイト桜塚やっくんの見ないとがっかりだよ(ブログ)
テンプレートを表示

うえだ ひろみ
植田 浩望
プロフィール
本名斎藤 恭央[1]
性別男性
出生地 日本神奈川県横浜市鶴見区
死没地 日本山口県美祢市
美祢市立病院
生年月日 (1976-09-24) 1976年9月24日
没年月日 (2013-10-05) 2013年10月5日(37歳没)
血液型B型[3]
職業お笑いタレント声優俳優歌手
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重169 cm / 56 kg
スリーサイズ89 - 70 - 82 cm
靴のサイズ26 cm

声優活動
活動名義桜塚やっくん / 斎藤恭央
ジャンルアニメゲーム吹き替え
音楽活動
活動名義桜塚やっくん
職種歌手
担当楽器
俳優活動
活動名義植田浩望 / 桜塚やっくん / 斎藤恭央
ジャンルテレビドラマ映画
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

桜塚やっくん(さくらづかやっくん、1976年昭和51年〉9月24日[1] - 2013年平成25年〉10月5日[4][5][6])は、日本の男性お笑いタレント声優俳優歌手神奈川県横浜市鶴見区出身。以前はジャニーズ事務所に所属しており[7]、本名の斎藤 恭央(さいとう やすお)で活動していた[8]トップコート[9]を退所後、個人事務所を設立。自ら設立した日本女装協会会長を務めた[10]ケッケコーポレーション(声のみ預かり)にも所属していた[3][11]
来歴

幼稚園の頃から目立つことばかり意識していたが、成績は良く、教師の話を聞いてたことから学校の授業と笑いの宝庫でネタになっていたという[12][13]。小学3年生の時に「芸能人になりたい」と思っており、有名になりたかったが[14]、「所詮テレビの中は別世界だ」と思っていた[14]。お笑いは小さい頃から好きで、小学校から高校まで常に「クラスの1のひょうきんもの」だったという[15]。学級委員などにも選ばれてしまうタイプで勉強もでき、スポーツもできた[15]。強度の近視で、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけていたことから、皆から「メガネラッキョ」と呼ばれていた[15]。小学校時代の卒業文集には「将来、芸能人になりたい」と書いていたが、当時は夢でしかなく、「実現するはずない」と思っていたという[13]。中学生の頃にはアイドル並みにモテモテだったが、高校時代に男子校に進学し、アルバイトと部活にあけくれる毎日で、恋愛もできなくなった[12]

俳優を目指して「アクションをやりたかった」と高校では体操部に所属していた[16]。高校2年生の時、「演じる」ということに興味を持って児童劇団に入団[12]。一生懸命アルバイトをして入団金50万円を払って、期待に胸を膨らませて「よし、この50万でスターになる」と思っていたが[13]、しかし入団から1年ほど経ったとき、大人になってから児童劇団に入団して有名になった人物は一人もいないということに気がつき「これじゃダメだ」と思い他の劇団に移籍した[13]。これといった方向性は決めていなかったが、「絶対に芸能界に入る」と決め込んでいたことから、演技、踊り、歌、バンド、お笑いなど色々なことをしていた[12]

少年時代は本名でジャニーズJr.として活動した[8]。当時18歳の時に、15歳と3歳サバを読んで入ったという[17][18]。当時はKinKi Kidsのバックで踊っていた[18]。大学在籍時の19歳から21歳まで3年間に俳優・新藤栄作主宰の劇団無現で芝居の基礎を学んだ[19]

お笑いの道へ入ったきっかけは、あるときコメディーの舞台で主役の公演があり、本番で客が物凄くウケてくれて、気持ちよくなったという[13]。「やっぱり人を笑わせるのは気持ちいい。あ、自分がやりたいのはコレだ!」とこのとき気がついた[13]。当時、映画に出演したり、事務所にも所属して、これから売り出そうという時だったが、事務所も役者もすっぱりやめてしまった[13]。「自分にはお笑いしかない」と思っていたため、何も怖くなかったという[13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:90 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef