桜井速人
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桜井"マッハ"速人
基本情報
本名櫻井 速人
通称野生のカリスマ
国籍 日本
生年月日 (1975-08-24) 1975年8月24日(48歳)
出身地茨城県龍ケ崎市
所属総合格闘技木口道場
GUTSMAN・修斗道場
マッハ道場
身長171 cm
体重80 kg
階級ウェルター級
バックボーン柔道
ブラジリアン柔術 (黒帯)[1]
テーマ曲不死身のエレキマン
THE HIGH-LOWS
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獲得メダル
日本
男子 グラップリング
アブダビコンバット
銅1999 アブダビ77 kg級
銀1999 アブダビ無差別級

YouTube
チャンネル

桜井マッハ速人

活動期間2018年4月7日 -
ジャンルスポーツ
登録者数1.48万人
総再生回数5,397,221回
チャンネル登録者数・総再生回数は
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桜井"マッハ"速人(さくらい"マッハ"はやと、1975年8月24日 - )は、日本男性総合格闘家実業家柔道整復師鍼灸師政治家茨城県龍ケ崎市出身。マッハ道場主宰。ADCC 1999無差別級準優勝。第4代修斗世界ミドル級王者[2]

豪快なファイトスタイルと性格の天然さから、野生のカリスマの異名を持つ[3]佐藤ルミナエンセン井上朝日昇らとともに修斗四天王と言われた。
来歴

中学・高校を通じて柔道を学び、土浦日大高校柔道部を引退後、空手を学び始める。高校時代は小見川道大宮田和幸と同級生であった。

高校卒業後はアルバイトをしながら空手の修行をしていたが修斗に興味を覚え、修斗を学ぶために上京した。しかし間違ってシュートボクシングの道場であるシーザージムに入門。1995年6月に第11回アマチュアシュートボクシング選手権関東大会で優勝、同年12月に第6回全日本アマチュアシュートボクシング選手権全国大会で優勝を果たしプロ昇格の権利を得るがプロにはならず、本来やりたかった修斗に転向、木口レスリング道場に入門した。
修斗

1996年7月、全日本アマ修斗選手権で勝ち上がり決勝で宇野薫に一本勝ちを収め優勝しプロ昇格。

1996年10月4日、プロ修斗デビュー戦で宇野薫に一本勝ち。

1997年11月29日、VALE TUDO JAPAN '97でマセロ・アグアと対戦し、時間切れ引き分け。

1998年5月13日、修斗ミドル級(-76 kg)王座決定戦で中尾受太郎と対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1999年UAEで開催されたアブダビコンバットに出場。77 kg未満級では3位入賞を果たし、無差別級準決勝では自身より40 kgも重いリコ・ロドリゲスと対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。決勝でホベルト・トラヴェンに敗れたが、軽量級でありながら無差別級での準優勝を果たした。

2000年3月17日、修斗ミドル級タイトルマッチで挑戦者の加藤鉄史と対戦し、判定勝ちを収め王座の防衛に成功した。

2000年12月17日、修斗でフランク・トリッグと対戦し、膝蹴りでTKO勝ち。

2001年8月26日、修斗ミドル級タイトルマッチで挑戦者のアンデウソン・シウバと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座陥落した。

2001年10月、地元・茨城県龍ケ崎市マッハ道場を設立[4]
UFC王座挑戦

2002年1月12日の修斗大会において、UFCに参戦しタイトルマッチでUFC世界ウェルター級王者マット・ヒューズに挑戦することが発表される。

2002年3月22日、UFC 36でUFC世界ウェルター級王者マット・ヒューズに挑戦し、テイクダウンを奪われる展開が続き、最後はパウンド連打でTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。試合当日、直前にぎっくり腰を併発しての闘いであった。

2002年12月14日、修斗でジェイク・シールズと対戦し、判定負け。

2003年6月25日、DEEPでデイブ・メネーと対戦し、TKO勝ち。

2003年9月15日、DEEPで長南亮と対戦し、TKO負け。
PRIDE

2003年12月31日、PRIDE初出場となったPRIDE SPECIAL 男祭り 2003高瀬大樹に判定勝ち。

2004年2月15日、PRIDE 武士道 -其の弐-ホドリゴ・グレイシーに判定負け。

PRIDE参戦当初はリミット83 kgのウェルター級を主戦場にしていた。体重増加と対戦相手の体重に対応できなかったためか、当初は勝利から遠ざかっていた。

2005年8月20日、修斗で青木真也と対戦し、判定勝ち。

アメリカのAMCパンクレイション(マット・ヒュームのジム)にて2週間のトレーニングを行い[5]、80 kg台からライト級リミットである73 kg近くまで大幅に減量した。

2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-で行われたライト級(-73 kg)トーナメントに出場。1回戦ではジェンス・パルヴァーにTKO勝ち。準決勝ではヨアキム・ハンセンに判定勝ちし、決勝進出を決めた。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で行われたライト級トーナメント決勝で五味隆典にKO負け。準優勝となった。

2007年2月25日、PRIDE.33マック・ダンジグと対戦し、TKO勝ち。

2007年9月30日、東京都豊島区巣鴨にマッハ道場 巣鴨支部をオープンした[4]

2007年10月28日、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でヤニ・ラックスと対戦。2Rにダウンを奪い、判定勝ち。当初はアリ・イブラヒムと対戦予定であったが、ビザのトラブルで対戦相手が変更となった[6]
DREAM

2008年3月15日、DREAM.1門馬秀貴と対戦し、パウンドでTKO勝ち。

2008年5月3日、修斗でデイビッド・バロンと対戦し、フロントスリーパーホールドで一本負けを喫した。

2008年9月23日、DREAM.6にて弘中邦佳と対戦し、判定勝ち。

2009年4月5日、DREAM.8のウェルター級(-76 kg)グランプリ1回戦で青木真也と対戦し、開始27秒パウンドでKO勝ちを収めた。

2009年7月20日、DREAM.10のウェルター級グランプリ準決勝でマリウス・ザロムスキーと対戦し、左ハイキックでダウンしたところにパウンドで追撃されKO負け。

2009年11月28日、柔術デビューとなった日本ブラジリアン柔術連盟「東京国際オープントーナメント2009」アダルト黒帯メイオペサード級に出場。1回戦で上村彰と対戦し、外掛けの足関節技を仕掛けてしまい反則負けとなった[7]

2009年12月31日、Dynamite!! ?勇気のチカラ2009?のDREAM vs SRC 対抗戦で郷野聡寛と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで一本負けを喫した。

2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14Strikeforce世界ウェルター級王者ニック・ディアスと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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