桜井俊
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さくらい しゅん
櫻井 俊
生誕櫻井 俊
(1953-12-14) 1953年12月14日(70歳)
日本 群馬県前橋市
国籍 日本
出身校東京大学法学部第2類(公法コース)
職業元郵政総務官僚
活動期間1977年 -
任期2020年 -
子供櫻井翔(長男)
櫻井三男(父親)
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櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年昭和28年〉12月14日 - )は、日本の郵政総務官僚実業家総務事務次官株式会社電通グループ代表取締役副社長などを歴任し[1][2]マルチメディア振興センター理事長。
経歴

群馬県前橋市出身[3]。父は上毛新聞元専務の櫻井三男群馬大学教育学部附属中学校群馬県立前橋高等学校を経て[4]1977年(昭和52年)に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。新卒で旧郵政省に入省した。その後、電気通信局電気通信事業部事業政策課長などを歴任し、日本電信電話の再編などの通信事業の自由化を主導した[5]

2001年平成13年)に総務省が発足したのち、情報通信政策局総合政策課長、大臣官房参事官総合通信基盤局電気通信事業部長、総合通信基盤局長情報通信国際戦略局長などを歴任。民主党政権時、電波オークション提言型事業仕分けなどで議論となった際には、反対の論陣を張った[6]。それが自由民主党世耕弘成らの目に留まる[6]

2014年平成26年)に事務次官への昇進が取り沙汰されたが[7]、この際には旧自治省出身で前消防庁長官だった大石利雄が事務次官となった[8]

2015年平成27年)7月に総務事務次官への昇格が内定し[9][10]、同月28日の閣議で次官就任が正式に決定した[11]。7月31日付で総務事務次官に就任[12][13]。就任の際には、長男がのメンバーの櫻井翔であることが広く報道された[14]

2016年平成28年)、東京都知事(当時)の舛添要一政治資金疑惑が世間を騒がせた際に、次期東京都知事候補と目されたことが週刊ポストで報じられたが[15]、総務省前で記者会見をし、「情報通信行政をやってきただけの人間ですので、とてもそのような役を果たせるだけの器ではない」と述べ、出馬を否定した[16]。同年6月に退官し[17]、後任には総務審議官佐藤文俊_(総務官僚)が起用された。同年9月に三井住友信託銀行顧問に就任。

2017年平成29年)6月に有冨寛一郎の後任として全国地域情報化推進協会理事長に就任[18]。同年7月、地域IoT官民ネットの設立発起人として共同代表に就任[19][20]
人物

落語家の立川談之助は桜井とは中学校から前橋高校まで共に同級生で親交が深い間柄でもある[21]。また、桜井の2代前の総務事務次官を務めた岡崎浩巳は前橋高校の同級生である[22]

郵政省の入省同期には高橋亨日本郵便元社長・前会長)、山川?郎(元総務審議官)、南方敏尚かんぽ生命保険副社長)などがおり、優秀な人材が多かったことから「花の52年組」と称された[12][23]

母校の群馬県立前橋高等学校京浜同窓会会長[24]も務めている。
略歴

1977年(昭和52年)3月 -
東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[25]

1977年(昭和52年)4月 - 郵政省入省[26]

1980年(昭和55年) - 郵政省電波監理局放送部企画課難視聴対策室主査

1981年(昭和56年) - 郵政省大臣官房文書課審議室主査。

1982年(昭和57年) - 郵政省電波監理局放送部企画課第二企画係長。

1983年(昭和58年) - 東海郵政局人事部要員課長。

1995年(平成7年)6月 - 郵政省電気通信局電気通信事業部業務課長[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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