桜ケ丘_(鹿児島市)
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桜ケ丘
町丁
鹿児島大学病院
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度33分 東経130度31分 / 北緯31.55度 東経130.52度 / 31.55; 130.52座標: 北緯31度33分 東経130度31分 / 北緯31.55度 東経130.52度 / 31.55; 130.52
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域谷山地域[註 1]
中央地域[註 2]
地区谷山北部地区[註 1]
鴨池地区[註 2]

人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口13,187 人
 世帯数5,999 世帯
設置日1978年10月24日
郵便番号891-0175[註 1]
890-0075[註 2]
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0060001(一丁目)
0060002(二丁目)
0060003(三丁目)
0060004(四丁目)
0060005(五丁目)
0060006(六丁目)
運輸局住所コード[2]46500-1257
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桜ケ丘(さくらがおか[3])は、鹿児島県鹿児島市町丁[4]郵便番号は桜ケ丘一丁目から桜ケ丘六丁目までは891-0175[5]、桜ケ丘七丁目・桜ケ丘八丁目は890-0075である[6]。人口は13,187人、世帯数は5,999世帯。(2020年4月1日現在)[7]。また、「ケ」は「ヶ」とも表記される[8]。桜ケ丘一丁目から桜ケ丘八丁目まであり、そのうち桜ケ丘八丁目の全域のみで住居表示を実施している[9]
地理

鹿児島市西部、脇田川中流域にある上ノ原台地上に位置している。町域の北方には田上町、南方には魚見町小原町、西方には中山、東方には宇宿向陽がそれぞれ隣接している。

町域の南端部には鹿児島大学病院が所在しており、鹿児島大学の医学部と歯学部が設置されている。また、中央部には県・市営住宅が所在しており、その周辺に分譲地が多く所在している。

教育施設は中央部に鹿児島市立桜丘中学校鹿児島市立桜丘西小学校が隣接して所在しており、南部には鹿児島市立桜丘東小学校、付近には鹿児島県児童相談所が設置されており、2023年3月までは鹿児島県立桜丘養護学校も設置されていた。
行政区域

桜ケ丘七丁目及び桜ケ丘八丁目は鹿児島市役所本庁の管轄であるが、桜ケ丘一丁目から桜ケ丘六丁目までは鹿児島市役所谷山支所の管轄となっている。これは、1967年昭和42年)までは現在の桜ケ丘一丁目から桜ケ丘六丁目までが谷山市の区域(中山町・山田町・上福元町)で、桜ケ丘七丁目の全域及び桜ケ丘八丁目の大半の区域は旧鹿児島市の区域(宇宿町・田上町)であった為である。

また、衆議院小選挙区制選挙区も異なり鹿児島市役所本庁管轄の区域は鹿児島県第1区、鹿児島市役所谷山支所管轄の区域は鹿児島県第2区に属する[10][11]
歴史
前史

1960年代以前の上ノ原台地は畑作地帯であり[12]、現在の桜ケ丘の区域は宇宿町田上町中山町山田町上福元町に跨っており、1889年の町村制施行時には宇宿町が中郡宇村の大字宇宿、田上町が西武田村の大字田上(中郡宇村及び西武田村は1934年に鹿児島市に編入)、中山町、山田町、上福元町は谷山村の大字であった。1967年(昭和42年)の鹿児島市と谷山市の新設合併時点では宇宿町、田上町は鹿児島市、中山町、山田町、上福元町は谷山市の区域である。
桜ケ丘の造成

鹿児島市と谷山市に跨る上ノ原台地の開発の機運は農業人口の流出と鹿児島市の住宅地不足問題により1960年代からあった[12]。しかしシラス台地の複雑な地形であり巨額の造成費用の負担が見込まれることから、鹿児島市谷山市などで宅地造成などを行っていた地方開発事業団である鹿児島開発事業団や民間開発業者との間で交渉はまとまらなかったという[13]

1970年(昭和45年)に農地法が改正されたのに伴い、農業協同組合が農地等処分事業として地域開発を行うことが出来るようになり[12]、その第1号として全国農業協同組合連合会に開発計画が全面委託され[13]1974年昭和49年)8月には、「中山地区土地区画整理組合」が発足した[12]。中山地区土地区画整理組合を施工主とする土地区画整理事業である「中山地区土地区画整理事業」として事業計画が決定し[14]、同年10月に着工[12][15]1978年昭和53年)に桜ケ丘団地の全ての区域の造成が完了した[16][17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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