桜むつ子
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さくら むつこ
桜 むつ子
本名佐藤 文子
生年月日 (1921-02-15)
1921年2月15日
没年月日 (2005-01-23) 2005年1月23日(83歳没)
出生地 日本東京府東京市小石川区(現:東京都文京区大塚
血液型O
ジャンル女優
活動期間1933年 - 2000年代
活動内容映画
舞台
テレビドラマ
配偶者あり
主な作品
テレビドラマ
私は貝になりたい』〈1958年版〉
いろはにほへと
ありがとう』映画
がんばっていきまっしょい
スウィングガールズ
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桜 むつ子(さくら むつこ、1921年2月15日 - 2005年1月23日)は、日本の女優東京府東京市小石川区(現:東京都文京区大塚出身。本名:佐藤 文子。血液型O型。最終所属はエトワアル。趣味はゴルフ。大塚尋常小学校卒業。
人物

1933年松旭斎天勝の一座へ入座し、松旭斎文子の名を貰い、芸能活動を開始(もともと幇間だった父に連れられて花柳界に出入りしていたこともあり、すぐに踊りの才能を開花させる)。

永井荷風が晩年に気に入っていたともいわれ、浅草軽演劇の花形女優として大衆を魅了(『開運!なんでも鑑定団』〈2022年1月11日放送分〉で彼女の孫が永井自筆の色紙を依頼品として出演し、当時の経緯を証言していた)。

1950年松竹へ入社。小津安二郎作品に複数回起用され、庶民的ながらもどこか色気を纏った名脇役として登場(ほぼ毎回飲み屋の女主人といった役どころを担当していた)。また、永井を敬愛していた小津は撮影の合間に永井の話を聞きたがっていたという。

2005年1月23日18時18分、肺癌のため東京都渋谷区代々木の自宅で死去。83歳没。

晩年の「おばあちゃんキャラ」は創ったものであり、素は年齢よりも若く見えるオシャレでハイカラなタイプであり、初対面で本人と気づく人はほとんどいなかった。
出演
映画

頓珍漢桃色騒動(1950年、
松竹

月の出の決闘(1950年、新東宝

思い出のボレロ(1950年、松竹)

我が家は楽し(1951年、松竹)

父恋し(1951年、松竹)

憧れのホームラン王(1951年、松竹)

陽気な渡り鳥(1952年、松竹)

相惚れトコトン同志(1952年、松竹)

こんな私じゃなかったに(1952年、松竹)

あんたほんとに凄いわね(1952年、松竹)

学生社長(1953年、松竹)

嫁の立場(1953年、松竹)

東京マダムと大阪夫人(1953年、松竹)

母の誕生日(1953年、松竹)

東京物語(1953年、松竹)

お嬢さん社長(1953年、松竹)

別離(1954年、松竹)

伊豆の踊子(1954年、松竹)

たけくらべ(1955年、新東宝)

続この世の花 第八部 さすらいの浜辺(1956年、松竹)

弥次喜多道中記(1956年、大映

喜びも悲しみも幾歳月(1957年、松竹)

花は嘆かず(1957年、松竹)

東京暮色(1957年、松竹)

夜の鴎(1957年、東宝

としごろ(1958年、松竹)

日日の背信(1958年、松竹)

花のうず潮(1958年、松竹)

彼岸花(1958年、松竹)

お早よう(1959年、松竹)

浮草(1959年、大映)

伊豆の踊子(1960年、松竹)

いろはにほへと(1960年、松竹)

秋日和(1960年、松竹)

図々しい奴(1961年、松竹)

ゼロの焦点(1961年、松竹)

あれが港の灯だ(1961年) ‐ 西岡初子 役

愛と悲しみと(1962年、松竹)

残月大川流し(1963年、東映

海抜0米(1964年、松竹)

戦場の野郎ども(1964年、松竹)

雪国(1965年、松竹)

おはなはん(1966年、松竹)

陽のあたる坂道(1967年、日活

わが闘争(1968年、松竹)

謝国権「愛」より (秘)性と生活(1969年、東映)

コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ(1969年、松竹)

喜劇 男は愛敬(1970年、松竹)

女子学園 悪い遊び(1970年、日活)


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