桜の森の満開の下
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この項目では、坂口安吾の短篇小説、同原作の映画について説明しています。人間椅子 (バンド)の楽曲については「人間失格 (人間椅子のアルバム)」を、同バンドのアルバムについては「桜の森の満開の下 (アルバム)」をご覧ください。

桜の森の満開の下
訳題In the Forest, Under Cherries in Full Bloom
作者坂口安吾
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『肉体』1947年6月・創刊号(第1巻・第1号)
出版元暁社
刊本情報
収録『いづこへ』
出版元真光社
出版年月日1947年5月15日
装幀本郷新
題字大野容子
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『桜の森の満開の下』(さくらのもりのまんかいのした)は、坂口安吾短編小説。坂口の代表作の一つで、傑作と称されることの多い作品である[1][2]。ある峠の山賊と、妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇物語。の森の満開の下は怖ろしいと物語られる説話形式の文体で、花びらとなって掻き消えた女と、冷たい虚空がはりつめているばかりの花吹雪の中の男の孤独が描かれている。

1947年(昭和22年)5月15日に真光社より刊行の単行本『いづこへ』に収録され、同年6月15日、暁社雑誌『肉体』創刊号(第1巻・第1号)に掲載された[注釈 1]。文庫版は講談社文芸文庫岩波文庫などで刊行されている。翻訳版はJay Rubin訳(英題:In the Forest, Under Cherries in Full Bloom)で行われている。

1975年(昭和50年)5月31日には、本作を原作とした映画が公開された。
作品背景

安吾が後に書いたエッセイ『桜の花ざかり』[3]には、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」いたと記されており、それが本作執筆の2年前に目撃した「原風景」となっているという[4]
あらすじ

昔、鈴鹿峠山賊が棲み着いた。通りかかった旅人を身ぐるみ剥がし、連れの女は気に入れば自分の女房にしていた。山賊はこの山のすべて、この谷のすべては自分の物と思っていたが、桜の森だけは恐ろしいと思っていた。桜が満開のときに下を通れば、ゴーゴーと音が鳴り、気が狂ってしまうのだと信じていた。

ある春の日、山賊は都からの旅人を襲って殺し、連れの美女を女房にした。亭主を殺された女は、山賊を怖れもせずにあれこれ指図をする。女は山賊に、家に住まわせていた七人の女房を次々に殺させた。ただ足の不自由なビッコの女房だけは女中代わりとして残した。わがままな女はやがて都を恋しがり、山賊は女とともに山を出て都に移った。

都で女がしたことは、山賊が狩ってくる生首をならべて遊ぶ「首遊び」であった。その目をえぐったりする残酷な女は次々と新しい首を持ってくるように命じるが、さすがの山賊もキリがない行為に嫌気がさした。山賊は都暮らしにも馴染めず、山に帰ると決めた。女も執着していた首をあきらめ、山賊と一緒に戻ることにした。出発のとき、女はビッコの女に向って、じき帰ってくるから待っておいで、とひそかに言い残した。

山賊は女を背負って山に戻ると、桜の森は満開であった。山賊は山に戻ったことがうれしく、忌避していた桜の森を通ることを躊躇しなかった。風の吹く中、桜の下をゆく山賊が振り返ると、女は醜い鬼に変化していた。全身が紫色の顔の大きな老婆の鬼は山賊の首を絞めてきた。山賊は必死で鬼を振り払い、鬼の首を締め上げた。

我にかえると、元の通りの女が桜の花びらにまみれて死んでいた。山賊は桜吹雪の中、声を上げて泣いた。山賊が死んだ女に触れようとするが、女はいつのまにか、ただの花びらだけになっていた。そして花びらを掻き分けようとする山賊自身の手も身体も、延した時にはもはや消えていた。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりだった。
作品評価・解釈

『桜の森の満開の下』は坂口安吾の作品の中でも評価が高いだけでなく、その幻想的な作風からも人気があり、翻案作品も多いが、初出当時はあまり注目されておらず、安吾の死後に讃辞されるようになった作品である[5]

奥野健男は、『白痴』、『青鬼の褌を洗う女』、『夜長姫と耳男』と共に『桜の森の満開の下』を挙げ、「これは天才でなければ絶対に書けぬおそろしい傑作であり、坂口文学の最高峰といえよう」と述べている[1]。また、坂口の全作品でどれか一つを選べと言われれば、『桜の森の満開の下』を挙げるとし、「芸術の神か鬼」が書いたとしか思えず、世界の文学の中でもこれほど「美しく、グロテスクで恐ろしい作品」は稀だと評している[6]

『桜の森の満開の下』の主題について福田恆存は、「人間存在そのものの本質につきまとう悲哀」を追求しようとして、安吾は執筆に至たり、素材のもつ現実性を避けるために説話形式をとったと解説している[2]

王愛武は、『桜の森の満開の下』は、『堕落論』や『白痴』に引き続き、安吾が「反逆の筆」を取り、メタファーの手法を用いて、「孤独と虚無」を描写していると述べ[7]、安吾の言う「救いがないということ自体が救いである」(『文学のふるさと』)という言葉を引きながら、そこに老子とほぼ同じ思想が見られるとし[7]、「自然は人間の力を借りずに物事をその軌道に乗せるものである。孤独は救いのないものなら、救いのないままにすれば、自然に救われる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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