桓公
秦
第12代公
王朝秦
在位期間前603年 - 前577年
都城雍城
姓・諱?栄
諡号桓公
生年不詳
没年桓公27年(前577年)
父共公
陵墓義里丘北
桓公(かんこう)は、秦の第12代公。共公の子。 共公5年(前604年)春、共公が薨去したため、子の栄が立って秦公となる。 桓公3年(前601年)6月、晋が白狄とともに秦を攻撃してきた。このとき晋が秦の間者を捕えて都の絳(こう)で処刑したところ、6日後に蘇生したという。 桓公10年(前594年)、楚の荘王は鄭を従え、北の晋軍を黄河のほとりで破った。この時、楚は覇者となり、諸侯を会する盟主となった。
生涯
桓公22年(前582年)11月、秦は白狄とともに晋を攻撃した。
桓公24年(前580年)冬、晋の詞が立ち、桓公と黄河をはさんで互いに盟を結んだが、帰国するなり桓公はこれを反古にした。
桓公26年(前578年)5月、晋が諸侯を率いて秦を攻撃し、秦は敗走した。
桓公27年(前577年)冬、薨去し、子の景公が立って秦公となった。
参考資料
『春秋左氏伝』(宣公八年、成公二年、九年、十三年、十四年)
『史記』(秦本紀第五)
表
話