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桑田 真澄読売ジャイアンツ 二軍監督 #73
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2007年)
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府八尾市
生年月日 (1968-04-01) 1968年4月1日(56歳)
身長
体重174 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1985年 ドラフト1位
初出場NPB / 1986年5月25日
MLB / 2007年6月10日
最終出場NPB / 2006年4月27日
MLB / 2007年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
PL学園高等学校
読売ジャイアンツ (1986 - 2006)
ピッツバーグ・パイレーツ (2007)
監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (2021 - )
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桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家、コーチ。 学位は修士(スポーツ科学)早稲田大学大学院・2010年。高校野球甲子園戦後最多勝利数投手。 ゴールデングラブ賞を投手最多タイ記録となる計8回受賞している[1]。 PL学園高校時代は、清原和博との「KKコンビ」でチームをけん引し、甲子園通算20勝の戦後最多記録を保持する。プロ入り後は先発投手として読売ジャイアンツを支えた。 2007年にピッツバーグ・パイレーツで現役を引退してからは、フリーランスの野球解説者として活動するかたわら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を取得した。また、指導者講習会を主催する特定非営利活動法人「アミーチ・デル・クオーレ」[注釈 1]理事長、ボーイズリーグの麻生ジャイアンツ会長、東京大学運動会硬式野球部の特別コーチのほか、日本野球機構(NPB)「統一球問題における有識者による第三者調査・検証委員会」の特別アドバイザー、PL学園硬式野球部OB会会長を務める。 弟はプロゴルファーの桑田泉。長男は独立リーグに所属していた元プロ野球選手の桑田真樹、次男はブライダルモデルでミュージシャンのMatt[2]。 小学2年次、町内会の「はやぶさ子供会ソフトボールチーム」でソフトボールを始め、4月1日生まれのため、同学年で一番若いというハンデをものともせず、6年生主体のAチームでショートのレギュラーポジションを獲得[3]。3年生からはボーイズリーグ(硬式野球)の八尾フレンドに所属し[注釈 2]、父・泰次により創意工夫された練習や特訓なども行っていた[4]。5年生からは主戦級投手として活躍した[5]。 1980年4月、八尾市立大正中学校へ進学後は[6]、中学の野球部に所属し、準硬式の試合(大阪中学校優勝野球大会)に出場した。入学直後に外野手・一塁手としてレギュラーとなり、秋から主戦級投手として活躍した[7]。 2年次には、第32回大阪中学校優勝野球大会で優勝した守口市立八雲中学校(エースは清水哲 大正中学時代は、後にプロに進んだ西山秀二とバッテリーを組んでいた[10]。桑田、西山を擁する大正中は、投打とも群を抜く強さだったと言われ[11]、また大会50周年記念誌には、「桑田の球はファウルにするのがやっとという有様で、たまに出塁しても、見事なピックオフプレーにやられ、完敗を喫した。負けて悔しいというよりも、あまりの力の差に唖然とさせられるばかりだった」と、桑田を物語る逸話が掲載されている。 西山は「140km/hくらいの球を、中学生の頃から放ってたね。すんごいコントロールしとったよ。ミットを構えた所にしか、ホンマにボールが来なかった[12]」「プロに入って、暴投を捕れなくてコーチに怒られた時、『桑田はこんな所に来ぃひんかったもん。中学生でもそうなのに、なんでプロが出来へんの?』と聞きましたよ[13]」「誰も打てんかった。高校野球で、1年生から優勝して当たり前、プロでも活躍して当たり前、そういうボールやった[14]」「ずーっと野球やってきて、総合的に桑田が一番凄いと思う。俺の中では歴代ナンバーワンのピッチャーは桑田[15]」と語っている[16]。 進路方針等で学校側と揉め、3年生3学期に八尾市立成法中学校に転校し、同校を卒業した[注釈 3]。 1983年4月、PL学園高等学校に入学した。同期では、清原和博、松山秀明、今久留主成幸、内匠政博の4人がプロ入りしている。
概要
経歴(プロ入り前)
小学校時代
中学時代
高校時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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