桑島法子
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くわしま ほうこ
桑島 法子
プロフィール
本名桑島 法子
[注 1][2][3]
愛称ほーちゃん[4]
性別女性
出身地 日本岩手県胆沢郡金ケ崎町[5]
生年月日 (1975-12-12) 1975年12月12日(48歳)
血液型A型[6][7]
職業声優歌手
事務所青二プロダクション[7]
公式サイト桑島 法子|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重158[6] cm / 46 kg
靴のサイズ23.5[6] cm

声優活動
活動期間1995年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えラジオ
デビュー作女生徒(『美少女戦士セーラームーンSS』)[9][10]
音楽活動
活動期間1996年 -
ジャンルJ-POPアニメソング
職種歌手
レーベルキングレコード(1996年)
コナミミュージックエンタテインメント2000年 - 2003年
ビクターエンタテインメント2001年 - 2005年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

桑島 法子(くわしま ほうこ、1975年12月12日[11] - )は、日本女性声優歌手岩手県[12]胆沢郡金ケ崎町出身[5]青二プロダクション所属[7]
略歴

子供の頃から自分ではない「何か」になりたく、「そういった職業に就きたい」と思っていたという[10]。幼少時は引っ込み思案だったが、NHKなどで舞台中継していた劇団四季の子供ミュージカルテレビドラマを見て演劇に興味を持ちはじめる[13][14]。地元で劇団四季の地方公演が開催される際には必ず親にチケットを取って貰い、家族で観するほどの熱の入れようだった。

小学生時代に叔父の家にあった『未来少年コナン』のビデオを見て熱中し[10][13]、その後『風の谷のナウシカ』を見て衝撃を受け、声優に憧れ「宮崎アニメの主人公の男の子の声をやりたい」と卒業文集に書く[14]

中学生時代には学校に演劇部がなく、剣道部へ所属するが1年ほどで退部し、自ら部員を集めて演劇部を発足する[15]。しかし当時は声優になるための習い事ができるような環境ではなかった[10]。中学時代に桑島と同じ年頃の人物が声優として活動しているのを見てたところ、うらやましく、「私も東京に生まれたかった」と思っていたという[10]。中学3年時に、高校演劇の東北大会が岩手県の会場で行われた際に初めて観劇し、「青春だな」と感銘を受け、自身も絶対これに出場すると決意[16]高校は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}岩手県立黒沢尻北高等学校[要出典]に入学。高校時代の演劇部は初めての挫折であり、東北大会はおろか県大会にすら出場できず、公演を行っても反省点ばかりで、次第に落ち込んでいったという[16]。やがて演劇部での活動にも嫌気が差し、周囲との折り合いも良くなかったこともあり、退部する[1][16]。高校にいる目的がわからなくなってしまったことで深いジレンマに陥り、高校2年ごろから通学しなくなった[16]。桑島曰く、高校時代は灰色の時代だったという[1][16]。高校在学時、勝田声優学院の通信講座を受講[14]。カセットテープに声を吹き込み、それを校長の勝田久が添削していた[14]。進級時の出席日数が足りなかった為、3年次からは岩手県立杜陵高等学校に編入した[17]

教師とも面談し、進路も色々考えたという[16]。以前から視野にあったのは劇団四季への入団だったが、バレエ声楽といった基礎がなかったため、「私には無理かな」と断念した[16]。第二の候補は劇団の養成所に入所することだったが、入団したい劇団が具体的には思い浮かばないことに気付く[16]。並行して調べていたのが声優の養成所であり、焦って訳もわからず劇団に入団し最初に大きな壁にぶつかるよりも、「声優養成所へ行こう」という考えに至ったという[16]。声の仕事にも興味があり、1年間で結果が出るという点や、日本舞踊、ダンスなどの授業もあり、舞台の基礎も学べるため、養成所へ通っている1年間の中で入団したい劇団をリサーチし、「チャレンジしてもいいかな」と考え、父親と共に上京し、ビジネスホテルへ泊まり、青二塾を受験した[1][16]。結果的には、青二塾しか受けておらず、合格した時は嬉しかったという[16]

卒業後は声優になるべく単身で上京[14]1994年に青二塾に東京校15期[6]として入塾[14]。同時に学生寮に住み、同塾卒業後は一人暮らしを始めて、部屋を探していた[18]。卒業公演では通りすがりでやられてしまう天使役をもらい、卒業後のオーディションで、71人ほどのうち20人ほどの合格者に入り、青二プロダクションに所属する[14][18]。初仕事はセシール『のびのびくらぶ』付録(1995年7月号? )生徒役。アニメ声優デビューは1995年テレビアニメ美少女戦士セーラームーンSS』(女生徒役)であった[9][10]。翌1996年にはテレビアニメ機動戦艦ナデシコ』にてヒロイン「ミスマル・ユリカ」役を得て、人気を博す[12][19][注 2]1998年のテレビアニメ『Bビーダマン爆外伝』(しろボン役)で初主演を果たし、1999年のテレビアニメ『神風怪盗ジャンヌ』(日下部まろん / 怪盗ジャンヌ役)でも再主演を果たした。

2010年に岩手県の希望郷いわて文化大使に就任した[20]
人物
特色・趣味

声優としては、多数のアニメ、洋画、ゲームに出演しており、多数のCDもリリースしている[21]

色々な役を演じることについては苦にならず、楽しく、現場ごとの切りかえも、わりとすんなり出来るほうである[18]。最初の頃、急に忙しくなっていた時には、驚き、1日に2本収録があり、ひとつが男の子役でひとつがとても大人なお姉さん役だったりしたこともあったという[18]

1週間に1本だけの主役の収録だった頃は、全力投球できたが、その時は2本とも主役で今までとは、違うプレッシャーが生まれてきた[18]。していく中で自分で自分のペース配分を覚え、徐々に複数の現場をこなしていけるようになったという[18]

仕事をする上で大事にされていることは決めつけるのが好きではなく、どの仕事に対しても「フラットでいたい」と考えている[10]。最終的に現場で変わってしまうこともあり、相手の役者の出方によって変わっていくこともあり、家でも練習していくが、現場で出来あがるものを大事にしている[10]。あまり凝り固まり「こうでなければいけない」と思い込み、台本、役に向き合ったりせず、「その瞬間、瞬間で自分が表現したい」と思うことを表現するように心がけているという[10]

これまで声を演じてきた中で思い入れの強いキャラクターに『機動戦艦ナデシコ』のミスマル・ユリカを挙げている[22]。また初主演作であり、明るい少年役を強く希望していたところに受かった「Bビーダマン爆外伝シリーズ」のしろボンや『スター・ウォーズ ドロイドの大冒険』のコビー、長い間演じた『犬夜叉』の珊瑚にも並ならぬ思い入れがあると語っている。『犬夜叉』の珊瑚役は「私の分身だな」と思ったといい、大きな哀しみを背負っているキャラクターで、当初は桑島なりの解釈で演じ、周囲にも「良かった」と言ってくれた[10]。珊瑚役は割と心を閉ざしている女性で、桑島にも少し似ている部分があるため、「無理をせずに演じることができたんだ」と語っている[10]

登山と勉強も兼ねた芸術鑑賞(演劇映画)が趣味。好きな音楽洋楽、特に好きなミュージシャンとしてデヴィッド・ボウイレディオヘッドを挙げている。イタリア料理が好物。好きな女優大竹しのぶ。都会が苦手であり、出来ることなら岩手から新幹線通勤したい願望を持っている。

小野坂昌也曰く、かなりの人見知りで仲が良い人が一緒にいないと絶対に喋らないとも語っている。『彩雲国物語』で共演している緑川光関智一から「リアルツンデレ(もしくはツンゲラ)」の称号を与えられ、緑川からは「ツンデレの師匠」とも言われ、浅野真澄からも「このツンデレめ。かわいいじゃねーか」とコメントされている。

本人はインターネットは苦手だと述べているが、Webラジオや、インターネットオークションなどを活用している。2012年12月12日の朗読夜では、現時点ではiPadでやっているとのこと。2015年には期間限定でTwitterを運営した。
交友

声優の豊嶋真千子池澤春菜とは自他共に認める親友同士。池澤とは、『超重神グラヴィオン』において親友同士の役で共演したこともある。


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