この項目では、札幌市の地名について説明しています。桑の栽培地については「桑畑」をご覧ください。
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桑園
宮部記念緑地
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度04分0.7秒 東経141度20分8.3秒 / 北緯43.066861度 東経141.335639度 / 43.066861; 141.335639
桑園(そうえん)は、北海道札幌市中央区の一部を指す地名。明治時代、養蚕のため桑畑が広がっていたことに由来する[2]。名称に桑園を冠した鉄道駅(桑園駅)や道路(福住桑園通、北海道道326号桑園停車場線)、学校[3]が、札幌駅や札幌駅前通から見て西方にあり、桑園地区町会連合会も存在する[4]が、住居表示などに使われる公式の町丁ではないため明確な境界は存在しない。 1875年(明治8年)、開拓大判官を務めていた松本十郎は、札幌の南1条から北、西8丁目から西の地域を切り開くため、出身地の旧庄内藩(当時は酒田県)から元・武士157人を招聘した。彼らは郷里で、養蚕を営む松ヶ岡開墾場(現・山形県鶴岡市)を立ち上げた経験があった。6月から9月にかけて約100日間、月明かりのある夜は午前0時まで作業して約4万本の桑の苗木を植える穴を掘り[2]、21万坪の土地を開拓してから帰郷した[5]。北海道知事公館は旧庄内藩士の宿舎跡に建てられ、西門近くに「桑園碑」という石碑がある[2]。 その翌年には、桑畑は48万坪まで拡大した[5]。このため一帯は「桑園」と呼ばれるようになり、大正時代まで入居者は誰しもカイコを飼うことを約束させられた[5]。 元は桑畑が広がっていた一帯も明治の末から民家が増え始め、大正になって区画整理がされたことで急速に宅地化が進行した[5]。1927年(昭和2年)、札幌市電北五条線が札幌駅から開通[6]。さらに1929年(昭和4年)には、桑園駅から北五条線に接続して市の中心部までいける桑園線が開通した[7]。しかしこの桑園線は単線で運行本数を増やせなかったことと、当時の桑園駅はまだ貨物駅としての運用が中心で旅客が少なかったことから、1960年(昭和35年)に廃止された[7]。残る北五条線も1971年(昭和46年)に廃止されている[6]。 こうして一帯から市電は消えたが、1988年(昭和63年)の函館本線高架化を契機に、桑園駅前は大規模な開発が行われて再活性化[7]。かつての市電停留所近辺にもマンションが林立するようになっている[8]。
歴史
施設
JR北海道 桑園駅
札幌市立桑園小学校
北海道知事公館
市立札幌病院