桑名電軌
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桑名電軌
桑名電軌3号(1939年)
種類株式会社
本社所在地 日本
三重県桑名市末広町544[1]
設立1926年(大正15年)9月21日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業[1]
代表者社長 水谷吉兵衛[1]
資本金120,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]
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概要
現況廃止
起終点起点:桑名駅前
終点:本町
駅数7停留場
運営
開業1927年9月17日 (1927-09-17)
廃止1944年1月10日 (1944-1-10)
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長1.0 km (0.62 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流600 V 架空電車線方式

路線図

凡例
1944年1月現在(廃止直前)


北勢電気鉄道


関西急行鉄道養老線


桑名駅/関西急行鉄道:名古屋線


桑名駅/鉄道省関西本線


0.0桑名駅前停留場


西桑名駅


0.2国道停留場


0.4車庫前停留場


0.5三崎橋停留場


桑名町駅




0.7旭橋停留場


0.9田町停留場


1.0本町停留場



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桑名電軌(くわなでんき)は、かつて三重県桑名市内を走っていた軌道線(路面電車)。
概要

桑名駅の駅前広場から駅前通りの「八間通」を東へ真っ直線に走り、行き止まりとなったところが終点の本町電停であった。車庫は路線の中ほどに存在し、南側に引込線を引き込んでいた。

八間通の幅員が広く、さらにほぼ一直線に進んでいたこともあり、起点・終点両方から互いを望むことができるほど小さな路線であった。
路線データ

営業区間:桑名駅前 - 本町

路線距離(
営業キロ):1.0km

軌間:1067mm

停留場数:7(起終点含む)

複線区間:全線単線

電化区間:全線電化(直流600V)

運転間隔は5分または10分間隔で、午前5時30分から翌日午前0時までと運行時間が長かった。所要時間は全線乗っても4分しかなかった。運賃は初乗り3銭、全線5銭で、全線往復乗車の場合1割引され9銭であった。
歴史
背景

桑名は東海道の42番目の宿場町であり、熱田との間にあった「七里の渡し」と呼ばれる海上航路を船で行き来する旅人を受け入れる地として栄えていた。このため桑名の市街地は海寄りにあり、桑名藩の藩庁である桑名城揖斐川を背後に造られていた。

ところが明治時代になり、1895年関西鉄道(現在の関西本線)が大阪側から延びて来た際、桑名の中心駅となるはずの桑名駅は、桑名町の西隣の大山田村(のちの西桑名町)に設置され、人々は不便を強いられることになった。

その後、駅の効果もあって駅前は新興市街地としての発展を開始し、単純に駅への連絡だけでなく新興の繁華街との往来も激しくなって来た。1925年には駅前から旧市街へ通じていた細道が一気に拡幅されて「八間通」と名づけられ、本格的に駅と旧市街地の連携を深める必要が出て来た。
開業

その連携手段となるべく手を挙げたのが桑名電軌であった。当社は、桑名駅前から八間通を通って旧市街地を結ぶ1キロあまりの軌道線を敷設することにしたのである。

むろん、駅前と旧市街を結ぶだけでは短すぎるので、この間は「駅前線」と称し、第一期計画の路線としてとりあえずの開業ということにしてあった。その後第二期線では駅前線から南へ路線を分岐させ、第三期線では東に、第四期線では西に環状線を構築して桑名市内に路線網を張り巡らせ、さらに第五期線では四日市市の富田まで延ばすという計画を立てていた。もしこれが実現していれば、桑名市から四日市市にかけて巨大な路面電車網ができていたことになる。

桑名電軌が特許を申請したのは1925年のことである。その翌年には特許が下り、年末には工事許可申請を出す素早さで、特許申請から2年後の1927年には工事着手に至った。途中、停留場を追加したり、1本突っ込みであった桑名駅前電停を2線構造にしたりと変更を加えつつ工事が行われ、同年9月17日には開業に至った。
隆盛と衰退

開業後は大入満員となり、当初4両であった車両を5両に増やして対応するほどであった。

また駅前の繁華街は八間通沿いにも広がり始め、旭橋電停付近には娯楽施設が集まった3階建ての「旭ビル」が建ち、この界隈の中心部として機能し始めた。さらには1932年、桑名駅前にバイパスとして国道1号が新たに開通し、官庁街も八間通に吸い寄せられて来るなど、当線にとっては好条件の状況となった。

だが、この好条件が逆効果となった。当時、日本各地では乗合自動車業者が設立されて乗合自動車が走り出し、小さな軌道線や郊外型の軌道線を圧迫していた。桑名もその例外ではなく、駅に通じる繁華街ということで完全に乗合自動車に併走され、1932年頃から4割も減収、収支が悪化したまま膠着状態となってしまった。


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