桐生競艇場
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桐生競艇場
通称変更前(2009年8月)

施設
所在地群馬県みどり市笠懸町阿左美2887
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度23分47.2秒 東経139度18分27.5秒 / 北緯36.396444度 東経139.307639度 / 36.396444; 139.307639座標: 北緯36度23分47.2秒 東経139度18分27.5秒 / 北緯36.396444度 東経139.307639度 / 36.396444; 139.307639
開場1956年昭和31年)11月8日
所有者みどり市
施行者みどり市
コース
水面人工(沼[1]
水質淡水
モーターヤマト331型・出力低減モーター[2]
外向発売所
外向発売所ドラ・ショップ
場外発売場
場外発売場ボートピアなんぶ(青森県三戸郡南部町
ミニボートピア福島福島県福島市
ミニボートピア津幡(石川県河北郡津幡町
ボートピア梅田大阪府大阪市北区
実況
担当松岡俊道・高石順成
所属トシ・ヴォイス
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桐生競艇場(きりゅうきょうていじょう)は、群馬県みどり市にある競艇場である。通称はBOAT RACE桐生(ボートレースきりゅう)、2009年までは桐生ボート。

施設所有者及び主催(施行者)は、みどり市。施設運営者は、関東開発株式会社。競艇場としては日本最北に存在し、ナイター競走を初めて開催した競艇場としても知られる。
歴史

1956年昭和31年)11月8日に初開催された[3]。当時の第一施行者は桐生市。全国の24競艇場の中では最も遅い開場である。

1997年平成9年)9月20日、日本の競艇場として初めてとなるナイター競走「アクアンナイト」を開始[4][5]

経営不振により一時は2003年度限りでの閉鎖も検討されていたが、第二施行者だった阿左美水園競艇組合(当時)が桐生市主催分の全日程を引き継ぎ、存続が決まる[6]

2005年(平成17年)4月に新スタンド「南ウイング」が完成。既存のスタンドは「新館」から「北ウイング」に名称を変更し、1階のみ一般に開放。新スタンド内には、競艇界では初めての在席投票席(PISルーム)を設けた。また、人の埋まりにくい前方席を梃入れするため、畳敷きのグループ席が設けられた[7]。また、全国の競艇場で初めて、周回展示において通常の展示タイムのほか、直線タイム・回り足タイム・半周ラップタイムを測定し公表した。

2010年(平成22年)度には通称をそれまでの「桐生ボート」より変更している。

2011年(平成23年)5月3日(東日本大震災被災地支援競走 第38回上毛新聞社杯・初日)より通称を「ドラキリュウナイター」へ変更し、冬季を含めた通年ナイター開催に移行した[8]。当初は2011年度より冬季を含めた通年ナイター開催に移行する予定だったが、東日本大震災で施設が被災したため、3月中旬から4月にかけての開催が中止された[8]

2013年(平成25年)10月11日より、北ウイングを改装し、外向発売所「ドラ・ショップ」をオープン[9]

2014年(平成26年)4月、照明設備を更新し、競艇だけでなくすべての公営競技で初となる全面LED照明に切り替えた[10]
運営

主催はみどり市であるが、施設の名称にもあるように初開催から2003年度までは桐生市が第一施行者であった。競艇の売り上げは1991年度をピークに減少を続け、桐生競艇も厳しい運営となっていた[7]

管理運営会社である関東開発株式会社は、ナイター開催の施行など経営の改善に取り組んだが、桐生市は赤字脱却のため借り上げ賃貸料の引き下げを巡り関東開発と対立し撤退を決定。一時は2003年度限りでの閉鎖も検討されていたが、第二施行者だった阿左美水園競艇組合(当時)が桐生市主催分の全日程を引き継ぎ、存続が決まった[6]。第一施行者が阿左美水園競艇組合となり、関東開発が運営する民間委託方式へと移行した[7]

平成の大合併の時期であり桐生広域圏の構想が存在したが、桐生競艇の存続の是非について桐生市と阿左美水園競艇組合所属の笠懸町大間々町藪塚本町の足並みが揃わなかった。このうち藪塚本町は太田市との合併を選択し、競艇事業から撤退。競艇事業存続を主張する笠懸町は、大間々町・東村と合併してみどり市となった。

ディズニーランドを手本として来場者を「ゲスト」、従業員を「キャスト」と呼ぶなど、クオリティの高いサービスを提供するため、サービスの改善に努めている[7]

こうした経営改善やナイターレースの成功、また場外発売所では日本一の売上であるボートピア梅田[11]での全レース発売開始(後述)などにより、2014年度の売り上げは全国5位・関東1位の678億円[12]、2016年度の売り上げは全国2位となった。2015年度と2016年度は2号賞金場となった。
施設の特徴

マスコットは
ドラキュラ伯爵をモチーフにした「ドラキリュウ」である[4]。2010年度までの昼間開催が行われていた際のマスコットは国定忠治をモチーフにした、古くからのキャラクターである「桐生忠太」であった。

レース実況や場内イベントは、トシ・ヴォイスに所属する松岡俊道、高石順成、坂田博昭、吉本靖、伊藤政昭が担当しており、一部のメンバーは同じ公営競技である競馬を主にしたグリーンチャンネル中央競馬中継を兼任するほか、JLCパートならびに下関競艇場大村競艇場の実況も担当している(近年のSG優勝戦は高石が実況を行うことがある)。なお、南ウイング完成後しばらくの間は実況が場内用と中継用で別になっていた(上記のメンバーは中継用を担当)。このうち第1?3レースの実況と各レース間の競技情報は以前より従事している女性アナウンサー2名の担当となる。

スタート展示を含め、場内テレビではヴァーチャルCGを使ってスタートラインの表示を行っている。また周回展示時、対岸の大型映像部分にハメコミ合成で各種お知らせを流すようになっている(通常は場内でも同じ表示だがビッグレース時はJLCと場内で異なる表示の場合がある。対岸を写す際に同じ画像が映らないようにさせるための対策となっている)。例として、レース日の6レースの一攫千金レースの告知・次回の開催告知などである。

バック側にファンが提供した応援横断幕を掲示するスペースがあるが、風の強い冬季や、他の季節でも強風時は安全な競走施行に支障をきたすことから、横断幕の掲示は休止している[13]

2023年8月13日からスマートフォン以外で写真・動画撮影をする場合、南ウイングのインフォメーションで申請する事によって写真撮影が可能になった。

主要開催競走

周年記念(GI)として赤城雷神杯が[14]、企業杯(GIII)としてサッポロビールカップが行われる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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