桐生祥秀
[Wikipedia|▼Menu]

桐生祥秀

100m予選(2016年リオ)
選手情報
フルネームきりゅう よしひで 
ラテン文字Yoshihide KIRYU
愛称ジェットきりゅう 
国籍 日本
競技陸上競技
種目短距離走
所属日本生命
大学東洋大学法学部企業法学科
生年月日 (1995-12-15) 1995年12月15日(28歳)
出身地滋賀県彦根市
身長175cm
体重70kg
コーチ担当者土江寛裕
成績
オリンピック100m 予選7組4着 (2016年
400mR 2位 (2016年
世界選手権100m 準決勝3組6着 (2019年
400mR 3位 (2017年2019年
地域大会決勝アジア大会
400mR 優勝 (2018年)
アジア陸上競技選手権大会
100m 優勝 (2019年)
国内大会決勝日本選手権
100m 優勝 (2014年、2020年)
200m 3位 (2019年
最高世界ランク100m 16位 9秒98 (2017年)
自己ベスト
50m5秒87 (2021年)
60m6秒53 (2024年)
100m9秒98 (2017年)
9秒87追い風参考記録(2015年)
200m20秒39 (2019年)
400m47秒41 (2013年)

獲得メダル

日本
陸上競技
オリンピック
2016 リオデジャネイロ4×100mR
世界陸上選手権
2017 ロンドン4×100mR
2019 ドーハ4×100mR
世界リレー
銅2015 ナッソー4×100mR
アジア大会
2018 ジャカルタ4×100mR
銀2022 杭州4×100mR
アジア選手権
金2019 ドーハ100m
世界ジュニア選手権
2014 オレゴン4×100mR
銅2014 オレゴン100m


編集 

桐生 祥秀(きりゅう よしひで、1995年12月15日 - )は、滋賀県彦根市出身の日本陸上競技選手。専門は短距離走日本生命所属[1]。マネージメントはアミューズ2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mリレー銀メダリスト

2017年に、100m走の公認記録では日本人史上初・アジア出身選手史上2人目の9秒台となる、9秒98を記録した[2]
経歴
中学生まで

小学生時代は
サッカーをしており、様々なポジションを務めていたが、最終的にはゴールキーパーで彦根市選抜チームに入っていた。所属チームは滋賀県彦根市にあるプライマリーサッカークラブ[3]。当時のあだ名は「よしちゃん」。

彦根市立南中学校への進学を機に陸上を始める[4]。3年時の全日中では200m決勝で中学歴代6位の記録となる21秒61(+1.8)を記録するも、21秒18の中学記録で優勝した日吉克実に敗れ2位、400mR(4走)で8位の成績を収めている[5]。中学時代は腰痛や左ハムストリングスの肉離れに悩まされた[6]

高校時代

京都市洛南高校に進学。高校のグラウンドは直線が80mしか取れず、ミニハードルを中心にトレーニングを積んだ[6]。1年時には国体少年B100mを10秒58(-0.2)で制し、2週間後の日本ユース選手権100mでは1年生で唯一決勝に進出して10秒79(-1.6)の3位に入っている。

2012年

4月15日の京都府高校春季大会200mで20秒88(+1.1)を記録し、高校歴代9位タイ・高校2年歴代2位に躍り出た。

5月19日の京都府高校総体の市内ブロック大会・2年100m予選を10秒43(+1.1)、20日の準決勝を10秒39(+0.9)と、それぞれ自己ベストを更新して通過すると、決勝では10秒27(+1.8)を記録し
[7]宮崎久が1992年に記録した10秒28のユース日本最高記録を0秒01更新した。

6月にインターハイ京都府大会と近畿大会に出場し、京都府大会4×100mリレーで3走を務め高校歴代5位の記録となる40秒25を記録。100mでも準決勝で10秒33(+2.8)、決勝で10秒35(+1.6)の好タイムを記録した。この大会の後に腰を痛めてしまい2ヶ月間はほとんど練習ができず、近畿大会の時は歩くのも大変だったというが、それでも100mを10秒61(-0.4)、200mを21秒54(-0.3)で制した[6]

7月 - 8月のインターハイでは、100m高校記録保持者の大瀬戸一馬、200mユース日本最高記録保持者の橋元晃志と共に短距離種目の優勝候補に挙げられるも、腰を痛めていた影響もあり無冠に終わった[8]

9月15日の近畿ユース選手権200m決勝で20秒71を記録し[9]、橋元晃志が2012年に記録した20秒82のユース日本最高記録を0秒11更新した。

10月5日のぎふ清流国体100m決勝において10秒21を記録し、ユース世界最高記録、ジュニア日本記録、高校記録を塗り替えた[10]

10月21日の日本ユース選手権200m決勝では自身のユース日本最高記録を20秒70に塗り替えた。

11月3日のエコパトラックゲームズ・一般4×100mリレーでは洛南高校のアンカーを務め、これまでの記録を0秒35更新する39秒64の高校新記録を樹立[11]

部門B男子100m決勝では自身の記録を10秒19に塗り替えた[12]

2013年

3年時の
織田記念100m予選では10秒01を記録、これは日本歴代2位・日本ジュニア新・日本高校新・日本国内の競技会での日本人最高のタイムであった[13][14][15][16]。当時の世界ジュニア記録に並ぶ記録でもあったが、使用された風向風速計が国際陸上競技連盟の競技規則で条件として定める超音波式ではなく、旧式のものであった[17]。このため、世界ジュニア記録としては公認されず、タイム自体は有効となった[18]

5月5日のセイコー・ゴールデングランプリ東京で初の国際大会を経験し、100mを10秒40の3位で終えた[19]

8月に開催される世界選手権の代表内定をかけて、6月7日 - 8日に日本選手権100mに出場した。既に4月の織田記念で日本陸連が定めた派遣設定記録を突破しているため、決勝で8位以内に入れば代表内定する状況だった。7日の予選を10秒28の2組1着で通過し[20]、完走さえすれば代表内定となる8日の決勝は山縣亮太に次ぐ10秒25の2位で終えた[21]

6月15日にはインターハイ近畿予選の200m決勝で20秒41を記録し、1994年に高橋和裕が記録した20秒57を更新する高校新記録を樹立した[22]。この記録は2015年7月にサニブラウン・アブデル・ハキーム(城西高)が世界ユース選手権で20秒34の大会記録を出すまで日本高校記録であった[23]

6月30日にはダイヤモンドリーグの主催者側から招待を受け、初の海外レースとなるイギリス開催の英国グランプリに参戦した[24]。日本人高校生としては史上初、100mでは2011年の上海グランプリに出場した高平慎士(結果は10秒51の8位)以来史上2人目のダイヤモンドリーグ出場選手となったが、結果は10秒55で予選1組8着(全体16位の最下位)に終わった[25]

7月 - 8月開催のインターハイでは100mを10秒19の大会新、200mを20秒66の大会新、洛南のアンカーを務めた400mリレーを40秒21で制して3冠を達成した。特に400mリレーは、7番手でバトンを受けながら最後の直線で6人を抜き去る逆転劇だった[26]。これらの種目での3冠達成は、1994年に高橋和裕が1600mリレーも含めて4冠を達成して以来19年ぶりであった[27]。なお、桐生を1600mリレーで起用するプランもあったが、洛南高校が予選で敗退したため実現しなかった[28]

8月開催の世界選手権には短距離個人種目史上初の高校生代表として臨んだ[27]。100mでは予選で3着以内に入れば同大会同種目における史上最年少セミファイナリスト(17歳7ヶ月)誕生だったが、結果は3着と0秒01差の10秒31で2組4着に終わり、各組4着以下のタイムでも拾われず準決勝進出を逃した[29]。400mリレーでは日本チーム(桐生、藤光謙司高瀬慧飯塚翔太)の第1走を務め、予選をアメリカに次ぐ38秒23の2組2着(全体で5番目のタイム)で通過した。決勝は38秒39で6位に終わったが、17歳での入賞は日本人最年少記録だった[30]

10月の国体では少年男子A100mを10秒22で優勝し、一昨年の少年男子B100m、前年の少年男子A100mに続いて3連覇を達成した[31]

11月2日のエコパトラックゲームズにおいて、個人種目では自身初となる400mに出場し、47秒41で6組4着(総合4位)という成績を残した[32]。11月7日には京都府の私立中・高等学校総合体育大会で走り幅跳びに初挑戦し、1位と8cm差の6m85cm(+1.1)を飛んで2位に入った[33]

12月17日のアスレティック・アワードで新人賞と特別賞を受賞した[34]

2014年元日放送の『炎の体育会TV』ではおねだり豊と100m競争で対決[35][36]。一本目は5m距離を短くする(95m)ハンデをおねだりに与えつつも大差をつけて勝利、二本目は距離をさらに5m短くする(90m)ハンデをおねだりに申し込まれるも快諾し、10秒30の好タイムでまたも快勝。二度目のおねだりと森脇健児の申し出によりさらに3m短くする(87m)ハンデを与え三本目の対決をするも、惜敗。おねだりは計13mものハンデを桐生に許されての勝利となった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:199 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef