きりもと たくや
桐本 拓哉
プロフィール
性別男性
出身地 日本・岐阜県[1]
生年月日 (1967-07-27) 1967年7月27日(56歳)
血液型A型[1]
職業俳優、声優
事務所青二プロダクション[2]
公式サイト桐本 拓哉|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[3]
身長 / 体重172[1] cm / 64 kg
俳優活動
活動名義桐本 琢也
活動期間1995年 -
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台
声優活動
活動名義桐本 琢也
活動期間1990年代 -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
声優:テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
桐本 拓哉(きりもと たくや、1967年7月27日[4] - )は、日本の俳優、声優。岐阜県出身[2]。青二プロダクション所属[2]。旧芸名は桐本 琢?也[注 1](読みは同じ)。 子供時代、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で主演を務めていたロバート・デニーロ、『ゴッドファーザー』に出演していたアル・パチーノなどメソッド演技法の演技を取り入れた俳優たちに憧れを抱いていたという[5]。 その憧憬は、中学、高校時代になっても色褪せることはなく、高校時代はマットペイントに興味を持ち、美術大学への進学を考えていた[5]。その道は選ばず、高校卒業後、名城大学商学部に進学[5]。その時にシネマ研究会に入り、演出、演者として多くの自主映画に参加したことで、演じる側に関心を持ち、演技への手応えも感じるようになったという[5]。 この頃、俳優への興味を強めた淡い青春のエピソードがあり、当時、大学の図書館で司書だった女性に好意を寄せ、図書館に通い詰める[5]。しかし女性を見つめている訳にはいかず、「演技の勉強になれば」と映画関連の書籍を読んでいた[5]。その中に、「メソッド演技法」を提唱していたスタニスラフスキー作の書籍『俳優修業』があり、内容に魅了され、心を動かされ、俳優への想いは揺るがないものになったという[5]。 「俳優の道に生きる」と心に決めて、3回生の終わりに劇座
来歴
同大学卒業後、様々な訓練所を渡り歩き、出会った友人に誘われ、吉本興業に所属[2][5]。
その後、舞台俳優として実績を積むため、1995年に劇団青年座に入団[6]して、アルバイトをしながら俳優を目指した[5]。苦しんでいた時期も長く、自分のやりたいことと求められることの歯車が噛み合わず、悔しさ、ジレンマを抱えながら、下積みの時代を過ごしていた[5]。しかし俳優を諦めようと思ったことはなく、オーディションを受け続けており、当時は「俳優で食べていけるようになるまでに10年かかった」とのちに思い返していた[5]。その時に「挑戦し続けていれば必ず何かが掴める」といった確信に近いものがあったことから明るい表情で語っていた[5]。職業としての声優がそれであり、シネマ研究会の映画製作では、演技を撮影した後、音声をアフレコで入れていた[5]。その経験を積んでいたこともあり、声優としての演技力に注目され、キャスティングの人物たちの目に留まり、職業としての声優が増えていったという[5]。
2006年には青年座映画放送所属となり[7]、2009年まで在籍していた。同年6月に青二プロダクションに所属[8]。
また、東地宏樹、辻親八、小林さやかと演劇ユニット「トローチ」を結成し、2014年に旗揚げ公演を行っている。
2016年2月に桐本琢也から改名[注 3]。 海外ドラマや洋画の吹き替えが多く、主にブラッドリー・クーパーやヒョンビン、ソ・ジソブなどの吹き替えを担当している。 趣味は読書、スキューバダイビング、釣り。特技は少林寺拳法、パントマイム[2]。 方言は岐阜弁、名古屋弁[2]。 太字はメインキャラクター。
人物
出演
テレビアニメ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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