桐本琢也
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目に含まれる文字「琢」は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。「琢」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。

きりもと たくや
桐本 拓哉
プロフィール
性別男性
出身地 日本岐阜県[1]
生年月日 (1967-07-27) 1967年7月27日(56歳)
血液型A型[1]
職業俳優声優
事務所青二プロダクション[2]
公式サイト桐本 拓哉|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[3]
身長 / 体重172[1] cm / 64 kg

俳優活動
活動名義桐本 琢也
活動期間1995年 -
ジャンルテレビドラマ映画舞台
声優活動
活動名義桐本 琢也
活動期間1990年代 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

桐本 拓哉(きりもと たくや、1967年7月27日[4] - )は、日本俳優声優岐阜県出身[2]青二プロダクション所属[2]。旧芸名は桐本 琢?也[注 1](読みは同じ)。
来歴 

子供時代、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で主演を務めていたロバート・デニーロ、『ゴッドファーザー』に出演していたアル・パチーノなどメソッド演技法の演技を取り入れた俳優たちに憧れを抱いていたという[5]

その憧憬は、中学、高校時代になっても色褪せることはなく、高校時代はマットペイントに興味を持ち、美術大学への進学を考えていた[5]。その道は選ばず、高校卒業後、名城大学商学部に進学[5]。その時にシネマ研究会に入り、演出、演者として多くの自主映画に参加したことで、演じる側に関心を持ち、演技への手応えも感じるようになったという[5]

この頃、俳優への興味を強めた淡い青春のエピソードがあり、当時、大学の図書館で司書だった女性に好意を寄せ、図書館に通い詰める[5]。しかし女性を見つめている訳にはいかず、「演技の勉強になれば」と映画関連の書籍を読んでいた[5]。その中に、「メソッド演技法」を提唱していたスタニスラフスキー作の書籍『俳優修業』があり、内容に魅了され、心を動かされ、俳優への想いは揺るがないものになったという[5]

「俳優の道に生きる」と心に決めて、3回生の終わりに劇座[注 2][2]に入団[5]。時には友人には「俳優になれるのはほんの一握り。現実をわかっていない」と言われ、喧嘩にもなった[5]。しかし友人の指摘は理解できるものでもあり、シネマ研究会にも俳優を目指していたメンバーは少なく、職業としての俳優は「狭き門だ」ということも自覚していたという[5]

同大学卒業後、様々な訓練所を渡り歩き、出会った友人に誘われ、吉本興業に所属[2][5]

その後、舞台俳優として実績を積むため、1995年劇団青年座に入団[6]して、アルバイトをしながら俳優を目指した[5]。苦しんでいた時期も長く、自分のやりたいことと求められることの歯車が噛み合わず、悔しさ、ジレンマを抱えながら、下積みの時代を過ごしていた[5]。しかし俳優を諦めようと思ったことはなく、オーディションを受け続けており、当時は「俳優で食べていけるようになるまでに10年かかった」とのちに思い返していた[5]。その時に「挑戦し続けていれば必ず何かが掴める」といった確信に近いものがあったことから明るい表情で語っていた[5]。職業としての声優がそれであり、シネマ研究会の映画製作では、演技を撮影した後、音声をアフレコで入れていた[5]。その経験を積んでいたこともあり、声優としての演技力に注目され、キャスティングの人物たちの目に留まり、職業としての声優が増えていったという[5]

2006年には青年座映画放送所属となり[7]2009年まで在籍していた。同年6月に青二プロダクションに所属[8]

また、東地宏樹辻親八小林さやかと演劇ユニット「トローチ」を結成し、2014年に旗揚げ公演を行っている。

2016年2月に桐本琢也から改名[注 3]
人物

海外ドラマや洋画の吹き替えが多く、主にブラッドリー・クーパーヒョンビンソ・ジソブなどの吹き替えを担当している。

趣味は読書スキューバダイビング釣り。特技は少林寺拳法パントマイム[2]

資格免許普通自動車免許中型バイク免許[2]

方言岐阜弁名古屋弁[2]
出演

太字はメインキャラクター。
テレビアニメ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:208 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef