桐朋女子中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分34.4秒 東経139度35分3.2秒 / 北緯35.659556度 東経139.584222度 / 35.659556; 139.584222
桐朋女子中学校・高等学校(とうほうじょしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都調布市若葉町一丁目41-1に所在する私立中学校・高等学校。
中学校、高等学校普通科は中高一貫の女子校で、高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。
高等学校音楽科は桐朋学園大学音楽学部との高大一貫7年制で、名称に女子とあるが男女共学である。 桐朋学園の法人本部や桐朋学園大学と同じ仙川キャンパスに所在する。国立市にある男子校の桐朋中学校・高等学校とは系列校に当たる。 「桐朋」の名称は、桐朋学園の前身母体である山水育英会が戦後解体の危機に陥った際、これを救った東京文理科大学・東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)の校章「五三の桐」に由来し、同校との関係「桐の朋(とも)」を意味する。 中学校・高等学校普通科は、桐朋学園女子部門の一つである。桐朋小学校、桐朋学園小学校を卒業した女子児童は中学校に内部進学できる。 高等学校音楽科は、桐朋学園音楽部門の一つである。高校名に「女子」とあるが、音楽科だけは男女共学で桐朋学園大学音楽学部との高大一貫校となっている。校則はなく、服装・髪型などは自由[2]。女子生徒は学生寮「桐朋学園音楽部門学生会館」に入寮できる。桐朋中学校、桐朋女子中学校を卒業した生徒の一部は内部進学できる。
概要
教育課程
中学校
高等学校
普通科
音楽科
ピアノ専門
弦楽器専門
管楽器専門
打楽器専門
ハープ専門
声楽専門
作曲専門
沿革
年表
1940年 - 山下汽船株式会社社長山下亀三郎からの献金を元に、山下育英会を組織。
1941年 - 山水高等女学校、山水中学校開校。「山」は陸、「水」は海を意味しており、当時は転勤の多い陸海軍の子弟を教育するための学校だった。
1947年 - 敗戦後、軍国主義の学校と見なされて解体の危機に瀕していた時、東京文理科大学・東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)が引き取って、山水育英会を財団法人桐朋学園に改編。同大学の務台理作学長が桐朋学園初代の理事長と校長を兼任。これ以来、同大学とは深い関係を持つ。山水高等女学校を桐朋高等女学校と改称。桐朋第二中学校を併設。
1948年 - 桐朋第二中学校を桐朋女子中学校と改称。桐朋女子高等学校設置。
1952年 - 高等学校に音楽科(男女共学)を設置。
教育目標