桐山清澄 九段
第67期王座戦第3局大盤解説会にて(2019年10月)
名前桐山清澄
生年月日 (1947-10-07) 1947年10月7日(73歳)
プロ入り年月日1966年4月1日(18歳)
棋士番号93
出身地奈良県下市町
師匠増田敏二六段
段位九段
戦績
タイトル獲得合計4期
一般棋戦優勝回数7回
2015年2月8日現在
テンプレートを表示
桐山 清澄(きりやま きよずみ、1947年10月7日 - )は、将棋棋士。棋士番号は93。増田敏二六段門下。奈良県下市町出身。棋聖、棋王のタイトルを獲得。竜王戦1組通算7期、名人戦A級通算14期。目次 1957年4月、9歳で升田幸三門下となり上京して内弟子となるが、慣れない環境もありホームシックのために同年7月に帰郷する[2]。 1958年、7級で増田敏二門下として再度、入門。旧制度の奨励会三段リーグに1964年前期から在籍。3期目に11勝1敗というずば抜けた成績で関西優勝をするが、中原誠との東西決戦で昇段を逃す。しかし、次期の1965年度後期で再び11勝1敗で1位となり、規定により東西決戦なしで四段昇段(プロ入り)を果たす。 順位戦では、第23期(1968年度)のC級2組で11勝1敗(1位)、第24期(1969年度)のC級1組で10勝2敗(2位)、第27期(1972年度)のB級2組で8勝2敗(1位)でそれぞれ昇級。そして、第29期(1974年度)のB級1組で12勝1敗で1位の成績を収め、1975年4月にA級八段となった。四段から八段までの昇段が、すべて順位戦の規定での昇段である。以降、12期連続でA級在籍。 1975年度、王座戦の決勝三番勝負で中原誠を2-0で破り、棋戦初優勝[3]。 1976年度前期の棋聖戦でタイトル初挑戦。大山康晴に1-3で敗れ、奪取はならなかった。 1976年度前期の早指し選手権戦で優勝。同棋戦では、1983年度に2度目の優勝をしている。 1980年度の順位戦A級リーグにおいて7勝2敗で優勝し、1981年の名人戦の挑戦者となるが、中原との七番勝負は1-4で敗退。1983年度の第22期十段戦でも中原に挑戦したが、七番勝負は2-4で敗退。 1982年度、第1回全日本プロトーナメントにおいて、決勝三番勝負で青野照市に2-1で勝利し、初代優勝者となる。 1984年度、第10期棋王戦五番勝負で米長邦雄四冠王を3-1で破り、初のタイトル獲得。米長の永世棋王獲得(5連覇)を阻止した。翌年度、谷川浩司に0-3で奪われる。 1986年度から1987年度前半にかけては、大活躍する。第48期(1986年度前期)棋聖戦五番勝負で、またも米長邦雄からタイトル奪取し(3-1)、2度目のタイトル獲得。王座戦で中原誠に挑戦(0-3で敗退)。第49期(1986年度後期)棋聖戦で南芳一の挑戦を3-1で退け、タイトル初防衛。さらに、第50期(1987年度前期)棋聖戦で西村一義の挑戦を3-0のストレートで下し、棋聖3連覇(半年後に、南芳一に0-3で奪われる)。 1988年度、第1期竜王戦で1組優勝。 2007年8月9日、公式戦通算900勝を達成した。史上9人目で、59歳での達成は最年長記録[4]。 還暦を超えてからも各棋戦において健闘し、3組在位で迎えた50代最後の竜王戦(2007年度、第20期)では決勝戦まで勝ち進み2組昇級を決めた[5]。 2017年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントの予選で1回戦で井上慶太に、2回戦で小林健二に、決勝で増田裕司にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で飯島栄治に敗れ、本戦勝利はならなかった。 加藤一二三及び森?二が規定により引退した2017年度以降は、桐山が最高齢かつ最古参、そして唯一の棋士番号2桁の現役棋士となっている。 2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、通算1000勝まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗[6]するほど大不振の年となり、第77期順位戦C級2組で2つ目の降級点を喫した。第32期竜王戦5組昇級者決定戦で伊奈祐介に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。 2019年度も公式戦で連敗が続き、2020年1月16日に行われた第78期順位戦C級2組8回戦で高見泰地に敗れ0勝8敗となり、この時点で3つ目の降級点が確定しフリークラスへ陥落。年齢制限により竜王戦を除く2020年度以降の公式戦の参加資格を失った。この年度も順位戦9回戦で近藤正和に勝利した1勝のみに終わった。 第33期竜王戦で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で井出隼平を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。
1 棋歴
2 棋風
3 人物
4 昇段履歴
5 主な成績
5.1 獲得タイトル
5.2 一般棋戦優勝
5.3 在籍クラス
5.4 将棋大賞
6 主な著書
7 関連項目
8 脚注
9 外部リンク
棋歴
棋風
攻めの棋風であるが、銀を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる。
代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている[7]。
人物
名前の「清澄」は「きよずみ」と読むのが正しいが、長らく、周囲からも関係者からも「きよすみ」と誤読されていた[8]。
当初上京して升田幸三の下で内弟子となったが、ホームシックになって関西に帰って奨励会入りした。
プロとなった弟子に、矢倉規広と豊島将之がいる。
公益財団法人高槻市文化振興財団
昇段履歴
1958年 7級 = 奨励会入会
1963年 初段
1966年4月1日 四段 = プロ入り
1969年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
1970年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
1973年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
1975年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
1984年10月9日 九段(勝数規定)
主な成績
獲得タイトル
棋聖 3期(第48期 - 50期)
棋王 1期(第10期)登場回数10、獲得4
一般棋戦優勝
王座戦 1回(第23回[3])
全日本プロトーナメント 1回(第1回)