桃山駅
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この項目では、京都府京都市伏見区にあるJR西日本奈良線の駅について説明しています。その他の桃山駅については「桃山駅 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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桃山駅
駅舎(2019年4月)
ももやま
Momoyama

◄JR-D04 JR藤森 (2.2 km) (2.4 km) 六地蔵 JR-D06►

所在地京都市伏見区桃山町鍋島34.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度55分57.42秒 東経135度46分16秒 / 北緯34.9326167度 東経135.77111度 / 34.9326167; 135.77111座標: 北緯34度55分57.42秒 東経135度46分16秒 / 北緯34.9326167度 東経135.77111度 / 34.9326167; 135.77111
駅番号JR-D05
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線D 奈良線
キロ程27.5 km(木津起点)
電報略号モモ
駅構造地上駅
ホーム2面2線
乗車人員
-統計年度-2,098人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日1895年明治28年)11月3日[1]
備考業務委託駅
京都市内
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桃山駅
1928年(昭和3年)頃[要出典]
ももやま
Momoyama

(1.8 km) 伏見
所属事業者日本国有鉄道
所属路線奈良線(貨物支線)
キロ程0.0 km(桃山起点)
廃止年月日1928年昭和3年)9月3日[1]
テンプレートを表示

桃山駅(ももやまえき)は、京都府京都市伏見区桃山町鍋島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線である。駅番号はJR-D05。伏見桃山陵伏見城のある桃山の南西部に位置し、大手筋通に接する。目次

1 歴史

1.1 年表


2 駅構造

2.1 のりば


3 利用状況

3.1 年度別1日平均乗車人員(1930年代?1940年代)


4 駅周辺

5 路線バス

5.1 京都市交通局 御香宮前停留所

5.2 近鉄バス 桃山停留所

5.3 京阪バス 京都橘高校停留所


6 隣の駅

6.1 かつて存在した路線


7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

歴史

奈良鉄道の手で開業した当初、当駅から京都駅までは伏見駅経由のルートであったが、1921年の東海道本線の馬場駅(現・膳所駅) - 京都駅間のルート変更に合わせ、同線旧ルートの稲荷駅 - 京都駅間を編入した現在のルートに切り替えられた。なお、旧線の当駅 - 伏見駅間はしばらく貨物線として存続していた。

もともと伏見 - 木幡間に駅を設ける予定はなかったが、当時、近くに西本願寺の三夜荘という別荘があり、ここからの風景を愛した大谷光尊法主の強い要望と主張により、「桃山」という名称の駅を作ることになった。駅の設置に関して奈良鉄道から寄付が求められたため、伏見町、堀内村、大谷光尊法主がそれぞれ500円ずつ寄付した。「寄付でできた駅であるので、駅名は地元で決めて欲しい」ということになり、地元は地元の村名をとって「堀内」を希望したが、大谷光尊法主が強く「桃山」を主張したので桃山駅となった[2][3]

1912年(明治45年)7月30日明治天皇が崩御。伏見桃山が陵墓地に選定され、桃山駅は国鉄奈良線のなかの一駅ではなくなり、大葬列車を迎えるため、急いで拡張と整備の工事がなされた。現在、踏切を挟んだ駅の北側のマンション群は、柩が下車した仮停車場と駅前広場の跡地である[要出典]。マンションの工事が開始される前は、この時のプラットホームの一部が残っていた。

かつて、駅から御陵参拝口まで敷地は広がり、現在のホームから2本の跨線橋があり、その向こうの高台に多くの改札口が並んでいた。この改札は「御陵口」と呼ばれ、1928年(昭和3年)から1951年(昭和26年)まで使用された。現在は、敷地の大部分が住宅地になるか森に還っている。現在の改札口は貨物用として使われていた。[要出典]

御陵口改札の前は玉砂利を敷き詰めた広場で、その向こう側に明治天皇や乃木将軍に関するものを扱う土産物屋が並び、日の丸も林立していた。昭和になり、日本の軍国化の動きと連動し「明治天皇桃山御陵参拝」が日本中で行われるようになり、国鉄桃山駅は整備拡大を続け、貴賓室が設けられ、桃山駅長は「指定職」という京都駅なみの地位に格上げされた。1932年(昭和7年)の1月の桃山御陵参拝人数は約15万人、この年10万を超えた月は6ヶ月もあり、桃山駅の1日乗降客が8万人といわれた日もあった。

第二次世界大戦後は、駅は活気を失い参道の商店街も消えて御陵の森と呼ばれる現在の姿になった。御陵の森の中には当時の建物跡を見つけることができる[4]
年表

1895年明治28年)11月3日 - 奈良鉄道の伏見駅 - 当駅間延伸に伴い、その終着駅として開業[1]

1896年(明治29年)1月25日 - 当駅から玉水駅まで延伸。途中駅となる。

1905年(明治38年)2月7日 - 合併により関西鉄道の駅となる[5]

1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化[1]。国有鉄道の駅となる。

1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。奈良線の所属となる。

1912年大正元年)9月14日 - 青山(仮)停車場から当駅まで明治天皇大喪列車運転。大喪列車(7両編成)到着用のやや弧形のホーム新設などの拡張工事が行われた[6][7]

1921年(大正10年)3月20日 - 稲荷駅 - 桃山駅間の新線が開業し奈良線ルート変更。旧線は当駅から伏見駅までのみ貨物支線として存続。

1928年昭和3年)

9月3日 - 当駅から伏見駅までの貨物支線が廃止[1]

10月3日 - 昭和天皇即位大礼お召し列車運転のための拡張工事が竣工[8][9]


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