桃井かおり
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ももい かおり
桃井 かおり
桃井かおり(左)
本名宇都宮かおり
別名義モモイ・カオリ(監督名義)
桃井かほり
生年月日 (1951-04-08) 1951年4月8日(73歳)
出生地 日本東京都世田谷区[1]
身長162 cm
血液型O型
職業女優映画監督
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1971年 - 現在
活動内容1971年:デビュー
1972年文学座退団
2005年:ハリウッド映画初出演
2006年:長編映画監督デビュー
2008年紫綬褒章受章
配偶者あり(2015年 - )
著名な家族父:桃井真
兄:桃井章
公式サイト ⇒桃井かおりオフィシャルサイト
主な作品
映画
幸福の黄色いハンカチ[1]
男はつらいよ 翔んでる寅次郎
もう頬づえはつかない
ええじゃないか
影武者
疑惑
木村家の人びと
SAYURI
武士の一分
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』テレビドラマ
前略おふくろ様
ちょっとマイウェイ
コラ!なんばしよっと』シリーズ
R-17
ビューティ7
伝説のマダム

 受賞
ベルリン国際映画祭
最優秀アジア映画賞
2007年無花果の顔
日本アカデミー賞


最優秀主演女優賞

1979年『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』

最優秀助演女優賞

1977年『幸福の黄色いハンカチ』

ブルーリボン賞


主演女優賞

1979年『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』

1988年『木村家の人びと』『噛む女』『TOMORROW 明日』

1997年『東京夜曲』

助演女優賞

1977年『幸福の黄色いハンカチ』

その他の賞
毎日映画コンクール
女優演技賞
1979年『もう頬づえはつかない』
女優主演賞
1997年『東京夜曲』
田中絹代賞
2015年受賞を参照

備考
紫綬褒章2008年、芸術文化部門)
旭日小綬章2022年
種田山頭火賞2023年
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桃井 かおり(ももい かおり、1951年4月8日[1] - )は、日本女優

東京都世田谷区出身。2005年公開のハリウッド映画『SAYURI』出演を期に、2006年にはアメリカ合衆国映画俳優組合(現・SAG-AFTRA)に加入、活躍の場をハリウッドにも広げる。ロサンゼルス在住[2][3]。身長162cm(1976年4月)[4]
来歴

1951年に東京都世田谷区の裕福な家庭に生まれる。父は国際政治学者桃井真、母の悦子(1923?2022)はアトリエを構える芸術家[5][1]、4人兄弟で上の兄は脚本家桃井章。2番目の兄は科学者。弟は銀行員。女優で人形作家の結城美栄子は母方の従姉。親類は岩城滉一の妻・結城アンナ。

3歳からクラシックバレエを始め、中学生の時にイギリスロイヤル・バレエ・アカデミーに単身留学。しかし、現実の厳しさを知り、挫折。桃井はこの時のことを振り返り「同じ年くらいの白人の子達と並ぶと、自分が“みにくいアヒルの子”という感じ。自分を醜いと思わざるを得なかった」と語っている[6][7]

帰国後、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学。同校在学中は東京バレエ団に所属。大学受験に失敗し[8]、同校卒業後、女子美に文学座コネのある人がおり[8]、バレエの契約が切れると同時にバレエを辞め[8]、両親に内緒で演劇を目指し文学座付属演劇研究所(養成所)第11期生に研究生として入る[1][8]モノマネの特徴として誇張される桃井の倦怠感やアンニュイイメージは、桃井によれば、文学座時代に周りの劇団員が演劇論を戦わせるのに付いて行けず、「手口としてそれが身に付いたというか、文学座のやり方ではそれしか生きる道がなかった」と話している[8]

1971年に映画『愛ふたたび』(市川崑監督)にて浅丘ルリ子の妹役でデビュー。映画出演のきっかけは「文学座養成所の授業をさぼってパチンコをやっていたとき、スカウトされた」と書かれたものがある[4]。同年、ATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(清水邦夫田原総一朗監督)にてヒロインを演じ、本格的に映画デビュー[1]。桃井は「私、ATGで一番入らなかった映画(同作)と入った映画(『もう頬づえはつかない』)やってるのよ(笑)」と述べている[8]。同作では共演した石橋蓮司緑魔子に徹底的にしごかれ、痛く傷付き逃避行する[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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