桂福若
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桂 福若(かつら ふくわか)

花菱は、桂春団治一門の定紋である。
本名黒川 清澄
生年月日 (1969-03-11) 1969年3月11日(50歳)
出身地 日本大阪府大阪市
師匠4代目桂福団治
活動期間1987年 -
活動内容上方落語
家族4代目桂福団治(父)
翠みち代(母)
所属フリー
備考
上方落語協会会員
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桂 福若(かつら ふくわか、1969年3月11日 - )は大阪府大阪市出身の落語家。所属事務所は現在はフリー(過去には松竹芸能に所属)。本名は黒川 清澄。父は4代目桂福團治[1]、母は声帯模写吉本興業所属の翠みち代
目次

1 略歴

2 エピソード

3 憲法改正落語

4 映像作品

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

略歴

大阪市住吉区に産まれる[1]

幼少時から歴史小説を愛読し、中学生のときに歴史の授業で紹介された乃木希典(陸軍大将)の水師営の会見のエピソード(降伏したロシア側司令官との面会時に帯刀を許したことが、敗軍の将の名誉を重んじたとして世界中から称賛を受けた)に感銘を受ける。府立高校に進学するが、“自虐教育”一色だったこともあり、教師への反発心で学校から不登校となり中退する[1]。高校中退後、生活が荒れ、両親に更生施設に入れられ同年代の少年たちと共同生活を送る。その施設職員に元日本軍人がいて、「歴史の生き証人」から直接話を聞いて「日本人、日本の国柄とは何か」と深く考えるようになったと本人は語っている[1]

1987年11月に 父でもある4代目桂福團治に入門し「福若」を名乗る。1992年頃から一門会の高座に上がるようになる[1]

2005年頃、仏教系大宗派の寺院関係者から依頼された寄席の後に行われた懇親会で、日本国憲法についての意見を求められ、否定的な自説を述べたところ懇親会の空気が変わり、以降、寄席に呼ばれなくなった。後援者からの悪評、同業者の陰口もあり、仕事が激減し苦しい生活を送るようになる[1]

2013年頃から、日常生活のトラブルをネタにすることを思いつき、法律や裁判の勉強を始め、日本国憲法に行きつく[1]2014年7月には日本国憲法前文日本国憲法第9条をテーマにとした憲法改正落語を完成させる[1]
エピソード

1985年10月16日阪神タイガース優勝時に、最初に道頓堀川に飛び込んだが、本人は阪神ファンではなく読売ジャイアンツファンである[2]。この飛び込みの様子が写真週刊誌に掲載され、当時通学していた府立高校で問題となり父親である桂福團治が学校に呼び出されることになった[2]

また飛び込みの翌朝、学校にあった池にも飛び込み、高校を中途退学することになった[3]。なお、カーネル・サンダースの呪いの発端となるカーネル・サンダース人形の道頓堀への投げ入れは、その場にいた高校の後輩によるものであると主張している[3]
憲法改正落語

憲法改正落語とは、憲法改正を訴える創作落語[4]

主人公がご隠居に憲法について質問する形で、今の憲法の問題点を笑いを交えつつ述べる[4]
映像作品

『DVD 誰にでもわかる憲法改正の話 落語篇』(
日本会議事業センター:2014年)

脚注・出典^ a b c d e f g h “ ⇒「憲法前文は名文でっか?」「迷う文と書いて迷文や。日本人の精神が伝わってけえへん」 桂福若さん、創作落語で憲法改正「考えるきっかけに」”. 産経WEST (2015年7月4日). 2016年4月20日閲覧。
^ a b 霜越春樹 (2008年7月13日). “ ⇒Photographer 霜越春樹の写会人日記:真桂福團治師匠”. 2016年4月20日閲覧。
^ a b “ ⇒たかが人形になぜ夢中 カーネルおじさんに重なるあの頃”. 朝日新聞社. 2009年3月16日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2016年4月20日閲覧。
^ a b “ ⇒落語で憲法改正の必要性訴える”. NHK. 2015年5月4日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2016年4月23日閲覧。

関連項目

落語家一覧

桂福團治

外部リンク

桂福若オフィシャルホームページ


更新日時:2019年3月27日(水)04:36
取得日時:2019/07/31 22:59


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