格差社会(かくさしゃかい、英: Social polarization)とは、収入や財産などの要因により人間社会の構成員に階層化が生じ、その階層間の遷移が困難な状態になっている社会を意味する語[1]。マスメディアによる造語であり、経済学などの学術的な専門用語ではないが[2]、その後のバブル崩壊と平成不況、さらに「失われた20年」の世相の中で広く使われるようになり、2006年には新語・流行語大賞の上位にランクインした。一種のブームとなったこの言葉は、「恋愛格差」など多数の派生語の親ともなった。 早稲田大学教授の橋本健二によれば、1970年代から1980年代の日本では「一億総中流」の意識のもとで格差の問題が忘れられており[3]、格差拡大が始まったことを最初に指摘したのは小沢雅子の1985年の著書『新「階層消費」の時代』であった[4]。小沢は中流階級の中でも消費内容に差が生じていることを指摘した[4]。以降、1980年代末までに「階級」をキーワードやタイトルに含む雑誌記事の数が増えた[4]。 政府が1988年に発表した『国民生活白書』において、高度経済成長期からバブル景気時代までの日本社会における経済的格差の拡大について言及された[5]。この政府発表の翌日の1988年11月19日、朝日新聞の社説が「『格差社会』でいいのか」との見出しで取り上げたのが、経済的・社会的不平等について「格差社会」という語が意識的に使用された最初の例とされている[5]。 2003年には「勝ち組」という語の用例が日本の雑誌記事で急増し[6]、翌2004年には新聞記事でも急増した[6]。「勝ち組」「負け組」の格差拡大を指摘した2004年の山田昌弘の著書『希望格差社会』は、格差社会に関する出版物の嚆矢とされているが[7]、2001年に苅谷剛彦著『階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差社会へ』が出版されており、こちらが先行研究となる。一般読者向けの通俗社会学的な山田の著作に比べ、信頼のおけるデータを統計的に分析し、また日本教職員組合の教育研究全国集会の記録から教育認識の変遷の歴史をたどるなど、本格的な教育研究書となっている[8]。 格差社会においては、社会的地位の変化が困難で社会移動が少なく、社会の閉鎖性が強いことを意味するため、格差社会は社会問題の一つとして考えられている。 格差拡大の主因として、国際通貨基金 (IMF) は「技術革新」と「金融のグローバル化」を指摘している[9][10]。また『ニューズウィーク日本語版』2007年12月5日号では「経済学の通説では、格差の拡大はグローバル化と自由貿易の避けがたい副産物であるとされている」と紹介されている。 学問的には、経済学における所得や資産の再分配研究、社会学における社会階層研究、教育社会学における不平等や地位達成研究(進学実績、教育志望、職業志望研究)などの領域に関連する。 格差社会の影響として過少消費説
背景
概説経済的不平等、社会的不平等の項も参照
国際的社会疫学調査などによると、一般に社会的格差が大きい国ほど国民の平均寿命は短く、その中でも貧しい層の寿命が短い。これは先進国より、貧しくとも平等な国における平均寿命が長いケースがあることから、絶対的経済力ではなく、社会格差が健康に影響を及ぼしている可能性が指摘されている[11]。
スタンフォード監獄実験は、人為的に作られた格差によって看守役は日々より残虐になり、囚人は虐待により精神を病むか死亡することを証明した。すなわち平等な社会においてのみ、社会の健全性・安全・道徳および世界平和は維持され、人々は幸福に生きることが証明された。
貧困の悪循環詳細は「貧困の悪循環」を参照
大阪大学社会経済研究所教授大竹文雄の『賃金格差拡大に耐えられる社会に』の中では、次のように著述されている[要出典]。ニューヨーク大学のフリン氏は、一時点の賃金格差は米国の方がイタリアよりもはるかに大きいにもかかわらず、生涯賃金の格差は両国でほぼ同じであることを示している。転職が比較的容易な米国においては、現在の賃金水準が低くても、転職によってよりよい条件の仕事に将来就く可能性があり、生涯賃金でみると賃金格差は、一時点での賃金格差に比べると小さくなる。これに対し、転職が困難だったり、将来の賃金上昇の可能性が小さい社会においては、現在の賃金格差が永続的に続くことになるため、 現在の賃金格差はそのまま生涯賃金の格差となってしまうのである。