根室拓殖鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
北海道根室郡根室町大字有磯町2丁目8[1]
設立1928年(昭和3年)5月25日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業[1]
代表者社長 佐野信
概要
現況廃止
起終点起点:根室駅
終点:歯舞駅
駅数5駅
運営
開業1929年10月16日 (1929-10-16)
廃止1959年6月20日 (1959-6-20)
所有者根室拓殖鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長15.5 km (9.6 mi)
軌間762 mm (2 ft 6 in)
電化全線非電化
最急勾配40 ‰
路線図
0.0根室駅
5.8友知駅
9.5沖根婦駅
13.5婦羅理駅
根室拓殖鉄道(ねむろたくしょくてつどう)は、北海道東部の根室市の根室駅(国鉄/JRの根室駅とは別地点)から根室半島南岸に沿って花咲郡歯舞村(現・根室市)の歯舞駅までを結んでいた軌道路線(後に鉄道)、およびそれを経営していた鉄道会社。日本国内において史上最東端を走った鉄道である。
道路事情の劣悪な歯舞・根室間を連絡し、歯舞で収穫された昆布等の海産物を輸送する目的で建設されたが、北海道東端の根室半島に敷設された路線環境は酷寒・積雪のみならず、海からの塩害・軟弱土壌による脆弱な路盤などきわめて過酷で、終始経営は難航した。1948年(昭和23年)以降は実質歯舞村有志により経営された。
1959年(昭和34年)、歯舞村が根室市に合併することを受けて鉄道を廃止し、バス会社に転換したが、ほどなく根室交通に合併された。 『交通年鑑』昭和32年度版による会社概要は以下の通り[2]。
会社概要
資本金:250万円
客車(気動車):3両
貨車:7両
従業員:14名
営業収入:869万6千円(うち運賃収入 696万9千円)
営業費
営業係数:112
本社所在地:根室市有磯町2-8
代表者:佐野 信
歴史
1927年(昭和2年)4月23日 - 特許状下付(根室郡根室町-花咲郡歯舞村間)[3]
1928年(昭和3年)5月25日 - 根室拓殖軌道株式会社設立[4][5][6]。
1929年(昭和4年)
10月16日[7][8] - 根室 - 婦羅理間開業。
12月27日 - 婦羅理 - 歯舞間延長。
1932年(昭和7年)
6月20日 - 特許状下付(花咲郡歯舞村大字歯舞村字歯舞-同村大字珸瑤瑁村字鳥戸石)[9]
8月25日 - ガソリン動力併用認可[10]。実際には前年から無許可で気動車を運行。
1945年(昭和20年)4月1日 - 準拠法を軌道法から地方鉄道法に変更し、根室拓殖鉄道に社名変更[11][12]。
1949年(昭和24年) - 2輛の単端式ガソリンカーを増備[11]。
1953年(昭和28年) - 車両の改番があった模様[11]。
1959年(昭和34年)
6月20日 - 鉄道路線休止[13]。
8月3日 - 運輸審議会に鉄監第734号「根室拓殖鉄道株式会社地方鉄道運輸営業廃止許可申請について」が諮問される[14]。
8月28日 - 運輸審議会が「廃止は、許可することが適当」と答申する[14]。
9月21日 - 鉄道路線廃止。
1961年(昭和36年)7月1日 - 根室交通に合併。
路線
路線データ
営業区間:根室 - 歯舞
路線距離(営業キロ):15.5km
駅数:5(他に仮乗降場3)
軌間:762mm
複線区間:なし(全線単線。交換可能駅3)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:蒸気・内燃
閉塞方式:票券閉塞式(実際の運行は各駅間の電話連絡のみで行っていた)
最大勾配:40‰[2]
最小カーブ半径:一部にかなりの急カーブあり[2]
運行概要
運行本数:1日あたり旅客3往復(1934年11月改正時)・1日4往復(1956年9月)
所要時間:全線60分
列車の運行速度は10km/hぐらいであったらしい[15]。
朝夕のラッシュ時には続行運転が行われていた[15]。
軌道整備の悪さや地盤の悪さ、そして積雪等により、列車の脱線が頻発していた。