核魚雷
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核魚雷(かくぎょらい、英語:Nuclear torpedo)は核弾頭を搭載した魚雷。魚雷に核弾頭を搭載する目的は、炸薬を用いた通常弾頭では実現できない大きな爆発を作り出すことにある。後の分析ではより小型で正確な高速魚雷がより効率的かつ効果的であることが示唆された[1]。理由としては、弾頭を目標の近くで爆発させた方が破壊に必要な威力が少なくて済むためである。冷戦中ソビエト連邦アメリカ合衆国の両国の海軍で核魚雷が一部の従来の魚雷を置き換えた。 ソ連はT15、T5、ASB-30を開発した。アメリカが使用した唯一の核魚雷はMark 45魚雷であった[2]。ソ連は1958年にT5核魚雷を広く配備し、アメリカは1963年にMark 45魚雷を配備した[3]:28 。2015年にはロシアが新核魚雷「ステータス6」を開発しているという噂が浮上した。
ソビエト連邦
T-15

ソビエト連邦の核兵器の開発は1940年代後半に始まった。海軍は潜水艦の技術と戦術が他国よりも優れていると考え、同軍が核攻撃を行うソ連軍の最も適切な部門であると主張した。理論的には、核兵器の発射直前に浮上できる長距離潜水艦は撃墜され得る長距離爆撃機による兵器の展開と比較して大きな戦術的利点を提供する。

1950年代初頭、ソ連の中型機械製作省は核弾頭を潜水艦戦に組み込む計画を秘密裏に開始した。コンセプトの一つであり1951年に極秘で始まったT-15プロジェクトは、ソ連のディーゼル潜水艦で既に使用されている従来の1550mm口径魚雷と互換性のある核弾頭の提供を目的としていた。研究と試験ははるかに小型で軽量の533mm魚雷「T-5」プロジェクトと同時に行われた。スターリンと軍隊は両方の口径の魚雷に利点を見出しており、T-5は優れた戦術オプションであったが、爆発威力はT-15が大きかった。 クレムリンでの会議は極秘であるため、海軍には通知されなかった。T-15魚雷と適切に再設計されたプロジェクト627という潜水艦の計画は、1952年9月12日に承認されましたが、1953年まで正式に承認されず、中央政府の活動を知らなかった海軍を驚かせた[4]:239?240。T-15プロジェクトは、水素爆弾弾頭で約25.7km移動可能な魚雷を開発した。1550mmのT-15の設計は、直径1.5m、重量は40トンであった。 武器のサイズが大きいため改造潜水艦は速度30ノットの魚雷一発に制限された。 魚雷の速度は弾頭を発射するための電気推進モーターの使用によって遅らされていた[3]
中止

T-15は、水中で爆発させ大津波を引き起こし海軍基地と沿岸の町を破壊することを目的としていた。T-15を搭載した潜水艦前部に、潜水艦の全長の22%を占める巨大な魚雷が搭載されていた。潜水艦は一度に1発のT-15しか搭載できなかったが、自衛用に533mmの魚雷発射管2本も装備されていた。1953年、T-15プロジェクトはその結論を共産党中央評議会に提示し、評議会でプロジェクトは海軍によって管理されると判断された。1954年、海軍専門家の委員会はT-15核魚雷の継続に反対した。彼らの批判は潜水艦隊の既存武器と一緒に考えられたときの必要性の欠如および潜水艦が海岸線に十分近い発射ポイントに近づいて40km以内の目標を攻撃できるのかという懐疑論に集中した[5]

プロジェクト627は、T-5プロジェクトで533mm口径魚雷を配備できる新しい船舶用の原子炉を提供するように変更された。しかし、1954年のT-15プログラムの終了は、大型魚雷が配備手段と見なされる最後の機会ではなかった。1961年、アンドレイ・サハロフは、航空機には大きすぎる新しい52Mt爆弾のテストに成功した後、このアイデアを再検討した。 彼が海軍にこの考えを紹介したとき、彼らはそのアイデアを歓迎せず、罪のない多くの人々を殺す広域効果によって却下された。技術の進歩により武器選択プロセスは、より迅速な実行に適したより戦術的なアプローチを支持するようになった[6]。長年にわたる在庫の減少と削減後、近年のロシア連邦核兵器の量及び出力面で在庫を増加させている傾向がある[7]
T-5

ソ連が独自の核爆弾の設計に成功した1950年代初期から効果的な輸送手段が求められていた[8]。T-5魚雷は5キロトンの爆発力を有するRDS-9核弾頭を搭載していた。1954年10月10日にカザフスタンのセミパラチンスクで行われた最初のT-5テストは失敗した[9]。1年後、さらなる開発の末、1955年9月21日にノヴァヤゼムリャでのテストが成功した[3]。1957年10月10日、ノヴァヤゼムリャでの別のテストでウイスキー型潜水艦S-144がT-5を打ち上げた。「Korall」と名付けられた試作兵器は湾の水面下20メートルで4.8キロトンの威力で爆発し、高放射能の巨大な水柱が上空に打ち上がった[10]。10.4kmの距離にある退役した潜水艦三隻がターゲットとして使用された[3]。S-20とS-34は完全に沈没し、S-19は重大な損傷を受けた。

1958年、T-5は53-58型魚雷として完全に運用されるようになった[3]:28。ほとんどのソ連潜水艦に配備可能[3]なこの兵器は核または高爆発物のどちらの弾頭にも交換可能であった。これにより、配備に関する迅速な戦術的決定が可能になった。アメリカのMark 45魚雷のようにT-5は直撃させるのではなく水中の爆破範囲を最大化するように設計されており、爆発により潜水艦の船体を破壊するのに十分な衝撃波を発生させる。ただし、Mark 45のようにT-5は深海潜航用に最適化されておらず、誘導機能が制限されていた。またT-5の熱的動作範囲は+5°Cから+ 25°Cであったため、北大西洋北極圏海域での有効性が低下した[5]

1962年10月、 キューバのミサイル危機が始まる少し前にソ連の潜水艦B-59がアメリカ海軍によって大西洋で追跡された。ソ連の潜水艦が浮上しなかったとき、アメリカ海軍の駆逐艦は訓練用爆雷の投下を開始した。第三次世界大戦が始まったかもしれないと考えたB-59の艦長は搭載されたT-5核魚雷の発射を望んだが、偶然にもB-59を指揮艦として使用していた彼の小艦隊司令官で副艦長のヴァシーリィ・アルヒーポプは、命令の承認を拒否した。議論の末、海上へと浮上しモスクワからの命令を待つことで合意した。ソビエト連邦の崩壊後、この潜水艦がT-5で武装していたことが明らかになった[11][12]。1965年の冷戦映画『駆逐艦ベッドフォード作戦』では架空のソビエトの核魚雷が配備された[13][14]
ASB-30

ASB-30は1962年にソビエト海軍によって配備された核弾頭であり、潜水艦が海にいる間に53cm魚雷の高爆薬弾頭と置き換えることができた[3]:28。
VA-111シュクヴァル

スーパーキャビテーション魚雷「VA-111シクヴァル」は核弾頭を搭載可能である[15]
ロシア連邦
ステータス6

2015年には、ロシアが最大100MT[16]の新型熱核魚雷「ステータス6海洋多目的システム」[17][18][19]を開発中の可能性があるという情報が明らかになり、ペンタゴンの高官はこの兵器に「Kanyon」とコードネームをつけた[20][21]。この兵器は、最大500mの高さの津波を発生させるように設計されている。またコバルト60で敵の海岸の広範囲を放射能で汚染し、ICBMまたはSLBMを無力化し得る弾道弾迎撃ミサイル、レーザー兵器、レールガンなどのミサイル防衛システムの影響を受けない[18][19][21][22][23]。搭載する可能性がある2つの潜水艦、プロジェクト09852オスカー型原子力潜水艦ベルゴロド」とプロジェクト09851ヤーセン型原子力潜水艦ハバロフスク」は、それぞれ2012年と2014年に建造された新しい艦船である[20][21][24][25]


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