核融合エネルギー
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核融合エネルギー(かくゆうごうエネルギー)は、水素ヘリウムのように軽い小さな原子核を持った原子やその同位体の、原子核同士の融合によって取り出されるエネルギーである。その反応を核融合反応と呼ぶ。

本来、原子核の安定度はを中心に、軽い小さな原子核は融合する事でより重く大きく、反対に重く大きい原子核は分裂する事で軽く小さくなったほうが自身の持つエネルギーが少なくて済むので安定となる。原子力発電のような核分裂反応は、ウランのように特に重い元素を利用している。核融合反応では反対に小さく軽い原子核を持つ水素やヘリウム、そしてその同位体である重水素三重水素ヘリウム3を利用する。しかしヘリウム3は地球上にほとんど存在しないため、極めて入手が難しい。

核融合エネルギーの使い方は、核分裂エネルギーと同様に平和利用と軍事利用に分けることができる。
平和利用
将来実現の期待される未来技術として、核融合反応に基づく熱エネルギーによって発電を行なう核融合炉がある。核融合炉は「地上の太陽」とも呼ばれ、きわめて希薄なエネルギー密度の太陽に比べて核融合炉のエネルギー密度は桁違いに高い。実現は上手くいっても数十年先と言われてきたが、近年では、米国・英国を中心に核融合スタートアップが総額数千億円の投資を受けて実用化をめざしており、特許競争力では中国が首位という報告もある(日本は4位)[1]。2022年12月には、米国ローレンス・リバモア国立研究所で、発生したエネルギーが投入量を上回る「純増」を初めて達成する[2]など、技術的にも画期的な進歩が続いている。
軍事利用
水素爆弾(水爆)という核爆弾大量破壊兵器で使われている。実験を除けば、まだ本来の用途である大量破壊には使用されていない。水爆の起爆に核分裂反応である原子爆弾が使われているが、核融合炉で使用するヘリウム3も原子炉内でリチウム6に中性子を当てて三重水素を作り、これがベータ崩壊してヘリウム3を得る方法が考えられている。
研究史
1900年代前半

核融合の研究は20世紀初頭に始まった[3]。1920年、イギリスの物理学者フランシス・アストンは、4個の水素原子の総質量相当量が1個のヘリウム原子(ヘリウム4)の総質量より重く、水素原子を結合してヘリウムを形成することで正味のエネルギーが放出されることを暗示していることを発見し、恒星が測定される量のエネルギーを生み出すメカニズムの最初のヒントを与えた。1920年代には、アーサー・エディントンが、太陽を動かす主要なシステムとして陽子-陽子連鎖反応(PP連鎖反応)を提唱した[4]

核融合により生成される中性子は,1933年にケンブリッジ大学アーネスト・ラザフォードの研究員によって初めて検出された[5]。この実験法はマーク・オリファントによって開発され、最大60万電子ボルトのエネルギーで陽子を標的に向かって加速するというものだった。キャベンディッシュ研究所はアメリカの物理化学者ギルバート・ルイスから数滴の重水を受け取り、加速器を用いて様々な標的に向け発射した。オリファントはラザフォードらと協力して、ヘリウム3(ヘリオン)とトリチウム(トリトン)の核を見つけた。[6][7][8]

1939年にハンス・ベーテによって検証された理論では、太陽の核におけるベータ崩壊トンネル効果が陽子の一つを中性子に変換し、それによってジプロトンではなく重水素が生成される可能性があることが示された。重水素はその後、他の反応を経て融合し、エネルギー出力をさらに高めることになる。この研究により、ベーテはノーベル物理学賞を受賞した。[4]

核融合炉に関する最初の特許は、1946年に英国原子力庁により登録された[9]。発明者は、ジョージ・パジェット・トムソンとモーゼス・ブラックマンであった。これは、Zピンチ概念の最初の詳細な検討であった。1947年から2つの英国のチームがこの概念に基づいた小規模な実験を実施し、さらに大規模な実験を構築し始めた。[4]
1950年代アイビー作戦(マイク実験時のキノコ雲)

最初に成功した人工核融合装置は、1951年の核実験(グリーンハウス作戦)で試験されたブースト型核分裂兵器であった。これに続き、1952年のアイビー作戦で真の核融合兵器、1954年のブラボー実験で最初の実用兵器としての水素爆弾が出現した。これは制御されていない核融合であった。これらの装置では、核分裂爆発で放出されたエネルギーを利用して核融合燃料を圧縮・加熱し、核融合反応を起こす。核融合は中性子を放出し、これが周囲の核分裂燃料に当たることで、原子が通常の核分裂プロセスよりもはるかに速く、ほとんど瞬時に分裂するのである。通常の核分裂兵器は燃料を使い切る前に爆発するが、核融合・核分裂兵器にはこのような実用的な上限がない。ピンチマシン内でのプラズマの様子(1950年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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