栗澤僚一
[Wikipedia|▼Menu]

栗澤 僚一

名前
愛称クリ
[1][2]
カタカナクリサワ リョウイチ
ラテン文字KURISAWA Ryoichi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1982-09-05) 1982年9月5日(41歳)
出身地千葉県松戸市
身長170cm
体重64kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足[1]

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2004-2008FC東京 79 (4)
2008-2018柏レイソル 217 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は柏レイソルのヘッドコーチを務める。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)流通経済大学法学部[3]
来歴

兄の影響で[4]6歳の時に[2]サッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた[5]。トレセンでのプレーが認められ[5][6]、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため[5][6]全国的には無名の存在だった[7]

習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け[6]、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが[5]、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった[7]。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出された[8]。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入[9]。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと[10]、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み[11]、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ[3]

2005年に大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使って[12] リズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献[13]。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した[14]。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった[15]。2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが[1]、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた[16][17](2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)。復調後は攻守のバランスを取りつつ[18] チームの潤滑油として奮闘を続けていたが[4]、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより[19]、出場機会を激減させていた。

2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で[19] 柏レイソルへレンタル移籍[20][21]谷澤達也の移籍によって空いた背番号28[注 1] を着用し、主に攻撃的な位置に入り[18]得点に絡むことを意識してプレーしていた[4][7]FC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが[22][23]チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。

2010年から柏へ完全移籍[24][25] となった。警告処分を厭わない[注 2] 守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。翌2011年には右ボランチとしてレアンドロ・ドミンゲスと酒井宏樹の右サイドアタック陣を支え続けJ1優勝に大きく貢献した。同年にはFIFAクラブワールドカップ2011にも出場し、準々決勝モンテレイ戦でのPK戦ではキッカーも務めてベスト4入りに貢献した。その後もこぼれ球の予測に長けセカンドボール回収に優れる[2] ボランチの中軸として出場を続け、主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会もあり、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた[26]。また、同年3月にタレントの佐藤弥生と結婚[27][28]ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり先発を外れる機会が多くなったが[29]、衰えない運動量で[30] 計算できる貴重な選手として[31] 重宝された。

2018年12月1日、現役引退が発表された[32]。2019年より柏レイソルのコーチに就任[33]
人物

同時期にFC東京に在籍していた
今野泰幸馬場憂太と特に仲が良く[4]、頻繁に部屋を行き来していた。柏に移籍後も馬場とは親しく、馬場のブログに登場することがある。

ジュビロ磐田との試合で相性が良く、通算3試合で3得点を挙げ「磐田キラー」と呼ばれた[15]

所属クラブ
ユース経歴


1989年 - 1991年 柏イーグルス (松戸市立新松戸北小学校)
[5]

1992年 - 1994年 新松戸SC (松戸市立新松戸北小学校)[5]

1995年 - 1997年 松戸市立新松戸北中学校 (現:松戸市立小金中学校)[25]

1998年 - 2000年 習志野市立習志野高等学校

2001年 - 2004年 流通経済大学

プロ経歴


2005年 - 2009年 FC東京

2008年8月 - 2009年12月 柏レイソル (期限付き移籍)


2010年 - 2018年 柏レイソル

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦
リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2004流経大---1010
2004FC東京33J16031-91
2005273435120414
20061312010161
20072205030300
20084030-60
28111-50161
20093204020380
2010J2310-30340
2011J13102030360
20122603040330
20132605030340
20141405000190
20151901020220
20161812020221
2017706020150
201820002040
通算日本J126564623103428
日本J2310-30340
日本他--1010
総通算29664623503778


2004年は特別指定選手として出場

その他の公式戦

2013年

スーパーカップ 1試合0得点

国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
201128-30
201240-
2013102-
201530-
201820-
通算AFC19230

出場歴


2004年04月03日:Jリーグ初出場 - J1 1stステージ第3節 vs東京ヴェルディ1969 (味の素)

2004年07月17日:公式戦初得点 - ヤマザキナビスコカップ グループD第5節 vsヴィッセル神戸 (神戸ウイング)

2005年04月10日:Jリーグ初得点 - J1第4節 vsジュビロ磐田 (味の素)

2009年05月05日:J1・100試合出場 - J1第10節 vs浦和レッドダイヤモンズ (国立)

2013年10月19日:J1・200試合出場 - J1第29節 vsヴァンフォーレ甲府 (柏サッカー場)

指導歴

2019年 -
柏レイソル コーチ

脚注[脚注の使い方]
注釈
^ 習志野高校の2年先輩であった玉田圭司の柏在籍時の背番号でもあった。
^ この年のリーグ戦では、チーム最多となる11枚のイエローカードを提示されている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef