栗林公園
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栗林公園
Ritsurin Garden
飛来峰からの眺望
分類都市公園歴史公園)、日本庭園
所在地 日本香川県高松市栗林町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度19分49.2秒 東経134度2分39.85秒 / 北緯34.330333度 東経134.0444028度 / 34.330333; 134.0444028座標: 北緯34度19分49.2秒 東経134度2分39.85秒 / 北緯34.330333度 東経134.0444028度 / 34.330333; 134.0444028
面積75ha(紫雲山を含む)
16ha(平庭部)
前身高松松平家・別庭
開園1875年(明治8年)3月16日
設計者(改修時)市川之雄, 椎原兵市
運営者香川県
年来園者数約71万人(2018年度)
現況年中開放(有料)
設備・遊具茶亭
讃岐民芸館
商工奨励館
駐車場43台(東門駐車場)
32台(北門前駐車場)
事務所香川県栗林公園観光事務所
事務所所在地香川県高松市栗林町一丁目20番16号
公式サイト ⇒栗林公園
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栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市に所在し、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園日本庭園)である[1][2]。県立の都市公園歴史公園)として運営されている[3]
概要庭園と紫雲山小普陀の石組栗林公園

紫雲山[注釈 1]の東麓に所在し、紫雲山を背景に[注釈 2]、6つの池と[注釈 3]13の築山を配し、400年近い歴史を有する大名庭園である。すぐれた地割と石組を有し、木石の雅趣に富んでいるとされている。面積は約75haで文化財庭園では、国内最大の広さである[2][4][5][6]

文化財庭園としてのカエデ・ツツジ・約1000本の手入れマツなどに加え、都市公園としてのウメ・サクラ・ハス・ショウブ・ハギなどが創出する四季折々の景観は、「一歩一景」とされている[2][6][7]

本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘」は[注釈 4]、高松藩主の松平家11代の国もとの下屋敷として、228年間使用された。1745年延享2年)第5代藩主頼恭が「名所60景」を撰名し[注釈 5]、作庭が完成したとされる。「名所60景」は、南庭に46景と北庭に4景の、50景が現存する[6][7]

南庭の「小普陀」の石組は、室町時代の作庭とされている。江戸時代初期に讃岐国を治めた生駒氏分限帳で、「栗林」の呼称が確認できる[注釈 6]。大名庭園としての本格的な整備は、生駒氏の改易後の、高松藩初代藩主の松平頼重の入部以降とされている。第3代藩主頼豊は御殿や茶屋などを充実させた。第5代藩主頼恭は薬園を設ける等、作庭に努めた。平賀源内は初代薬園頭として2年間勤める[4][5][6]。第2代藩主頼常は泉の池の浚渫を行い、近辺数か村の灌漑用水に使用した[8]

園内には3種類の気象庁の標本木がある。北梅林のウメ・讃岐民芸館前のサクラソメイヨシノ)・楓岸のカエデである。高松地方気象台の「開花・満開・紅葉」の宣言は、これらの標本木に基づく[6][9]
様々な池と水源

栗林公園には様々な大きな池があり、庭園部分の約2割を占めていて、これらは互いにつながっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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