栗山駅
駅舎(2005年4月)
くりやま
Kuriyama
◄由仁 (5.1 km) (4.2 km) 栗丘►
所在地北海道夕張郡栗山町錦4丁目.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度3分29.41秒 東経141度46分32.26秒 / 北緯43.0581694度 東経141.7756278度 / 43.0581694; 141.7756278
栗山駅
くりやま
Kuriyama
◄中央農試前 (2.1 km) (4.4 km) 角田►
所属事業者夕張鉄道
所属路線夕張鉄道線
キロ程23.0 km(野幌起点)
駅構造地上駅
開業年月日1926年(大正15年)10月14日
廃止年月日1975年(昭和50年)4月1日
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栗山駅(くりやまえき)は、北海道夕張郡栗山町錦4丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。電報略号はクリ。事務管理コードは▲130334[2]。
かつては当駅で交わる夕張鉄道線との乗り換え駅であり、急行「夕張」の停車駅であった。現在も駅前にバスターミナルがあり、交通の要衝となっている。由仁駅から当駅まで複線だが当駅から岩見沢駅まで単線となっている(#その他も参照のこと)。 1892年(明治25年)8月1日に岩見沢駅 - 室蘭駅間が北海道炭礦鉄道の手で開通した当初、当地に駅は設置されなかったが、住民の運動により当地に駅が設置されることとなった[3]。設置予定位置については雨煙別(現:栗山市街)、もともとの市街であった角田市街、長沼との要望や技術上の都合もあり幾度か変遷したが、雨煙別の土地が杉武一郎という人物により寄付されたことにより、現在地に決定され、その後当地が栗山市街として発展することとなった[3]。1976年の栗山駅と周囲1km×1.5km範囲。上が岩見沢方面。前年に廃止になったばかりの夕張鉄道の軌道跡がそのまま残されている。上端中央、室蘭本線から左上へ分岐していたのが野幌方面、下当駅裏より室蘭本線を跨ぐ形で右下へ向かっていたのが鹿ノ谷方面。 もともと当地は現在の雨煙別川のアイヌ語名である「ウェンペッ(wen-pet)」(悪い・川)から「雨煙別」と称されていたが[7]、「付近に栗の木が多く自生していたので[8]」として、栗山駅と命名され、その後雨煙別の地名も栗山となり[3]、自治体名も1949年(昭和24年)に角田から栗山へ変更された。 駅舎は2000年(平成12年)に建て替えられ、町の交流施設「くりやまカルチャープラザEki」と合築した複合駅舎となった。
歴史
単式1面、島式2面の複合ホーム3面5線であったが、外側の島式1面2線が夕張鉄道用で、既に使用をやめている。室蘭本線側1・2番線間に中線と3番線外側に1本それぞれ待避用副本線を有している。駅裏側には仕分もしくは留置用側線が3本あり、そこから南側のコンクリート工場敷地に沿って引込み線が伸びている。駅舎横は岩見沢側と追分側の両面に双方向から4本ずつ貨物引込み線が引かれ、特に追分側の貨物ホームはかなり大きい。またこの為に単式ホームの岩見沢側は殆んど島状になっている。駅表追分側にある化学工場へも引込み線が伸び、保線用車両の待機線がこの線と本線との間に敷かれている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
年表
1893年(明治26年)7月1日:北海道炭礦鉄道の駅として開業。一般駅[1][3]。
1901年(明治34年)
1月12日:駅舎焼失。
下期:駅舎新築。
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管[1]。
1926年(大正15年)10月14日:夕張鉄道が当駅から新夕張(後の夕張本町)を開業し接続駅となる[3]。
1930年(昭和5年)11月3日:夕張鉄道野幌駅 - 当駅間開業[3]。
1934年(昭和9年)12月19日:駅舎を改築し同日落成[3]。
1936年(昭和11年):北海道コンクリート製品工業(後に北海道ヒューム管を経て日本高圧コンクリート)栗山工場操業開始、専用線使用開始?[4]。
1937年(昭和12年):日本電気冶金(後の日本電工)栗山工場操業開始、専用線使用開始?[5]。
1952年(昭和27年)4月:夕張鉄道が旅客用気動車導入。
1968年(昭和43年)
時期不詳:複線化工事に合わせ夕張鉄道立体交差部改築[6]。
10月1日:新栗山トンネル完成、新線切り替え。由仁-当駅間複線化[6]。
1969年(昭和44年)
7月15日:コンテナ基地設置[6]。
10月1日:当駅-栗丘間複線化[6]。
1973年(昭和48年)9月23日:駅裏連絡のための跨線人道橋(自由通路)設置[6]。
1974年(昭和49年)4月1日:夕張鉄道線が野幌 - 当駅で旅客営業を休止する。また同日に同線が北海道炭礦汽船に譲渡される。
1975年(昭和50年)4月1日:夕張鉄道線野幌 - 鹿ノ谷間が正式に廃止となり、接続駅としての役目を終える。
1982年(昭和57年)11月15日:コンテナ取扱い廃止[6]。
1984年(昭和59年)
2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[1]。
4月1日:簡易委託駅となる[6]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
2000年(平成12年)12月:くりやまカルチャープラザ「Eki」と合築の新駅舎が竣工。
駅名の由来
駅構造