栃東知頼
[Wikipedia|▼Menu]

栃東 知頼

基礎情報
四股名志賀 駿男→栃東 裕典→栃東 駿男→栃東 知頼
本名志賀 駿男
生年月日 (1944-09-03)
1944年9月3日(79歳)
出身福島県相馬郡日立木村(現在の相馬市
身長178cm
体重115kg
BMI36.30
所属部屋春日野部屋
得意技左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り
成績
現在の番付引退
最高位東関脇
生涯戦歴611勝593敗33休(98場所)
幕内戦歴404勝448敗23休(59場所)
優勝幕内最高優勝1回
十両優勝1回
殊勲賞4回
技能賞6回
データ
初土俵1960年11月場所
入幕1967年3月場所
引退1977年1月場所
引退後年寄・13代玉ノ井
備考
金星5個(柏戸3個、大鵬1個、北の富士1個)
2019年7月3日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡日立木村(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は志賀 駿男(しが はやお)。最高位は東関脇1970年3月場所)。現役時代の体格は178cm、115kg。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り。

引退後は年寄玉ノ井(13代)を襲名し、春日野部屋付きを経て玉ノ井部屋を創設した。次男・太祐四股名栃東を譲り受けて大関まで昇進。現役引退後は年寄・栃東を襲名して父の下で部屋付き親方となった後、部屋を継承した。なお、日本相撲協会停年退職した後は、玉ノ井部屋師範代となった。
来歴

中学時代から野球部で活動し、原町工業高校進学後も野球部に在籍していたが、相撲部の顧問を兼任していた野球部の顧問に相撲の大会に助っ人として出場するように言われ、その大会で優勝すると、1960年秋に春日野部屋からスカウトされて高校を中退し入門する。横綱栃錦が春日野部屋継承後に入門した力士(いわゆる直弟子)では初の関取である。

現役時代は身長177cm・体重115kgの小兵で、横綱・大鵬45連勝の直前の黒星(1968年9月場所初日)をつけるなど、春日野部屋伝統の技能派力士として知られた。殊勲賞4回はいずれも技能賞とのダブル受賞。立合い鋭く右前褌左おっつけで寄り進むか、左を差して浅い上手からの出し投げを繰り出す[1]正攻法の取り口で、頭を決して上げず、前捌きも巧みだった。

辛辣な批評で知られた玉の海も「こんな巧みな相撲は見た事がない。」と批評するほどだった。技能派大関誕生の期待もかけられたが、肝炎による休場と両膝の故障で大成を阻まれた。三賞を10回以上受賞した力士の中でも師匠の春日野と並んで敢闘賞を受賞した経験がなく、その内年6場所制定着以降に入幕した力士としては栃東ただ1人が該当する。

1972年1月場所(地位は西前頭5枚目)では11勝4敗という15日制初の11勝での成績で幕内最高優勝を果たした[1][2]が、千秋楽大関清國との一番に負ければ8人の5敗力士による優勝決定戦になるところであった。この場所初日、いきなり横綱・北の富士と大関・琴櫻との対戦が組まれ、北の富士は14日目より休場。また大関・大麒麟、同・前の山がそれぞれ全休・途中休場するなどの影響で上位の取組編成は混乱し、ついには平幕力士が千秋楽結びの一番に相撲を取るという異例の事態[3]となっていた)。

同場所で喫した4敗のうち、4日目(2敗目)は金剛吊り出しで敗れたものだったが、逆に金剛が1975年7月場所で平幕優勝をした際は同場所4日目に肩透かしで黒星を喫させた[4]

栃東は1968年3月場所で平幕優勝した若浪にも同場所3日目に寄り倒しで黒星を喫させたが、いずれも自身が平幕在位中の白星であり、平幕在位中に当場所の平幕優勝力士に複数回勝利した唯一の力士とされる[5]

現役時に関脇・長谷川について「顔も見たくない」と発言した事があった程、取り口が合わなかった(現役時代の対戦成績は栃東の8勝22敗)。現役時代から雄弁な理論家で知られ、立ち合い前の作戦から相撲展開まで取組直後でも沈着に応答出来る数少ない力士であったという。

9月場所は栃東にとって抜群に縁起が良く、1970年を除いて初土俵から引退まで9月場所で負け越しを経験していない。それに留まらず1968年と1969年には殊勲賞と技能賞をダブル受賞しており、特に前者に至っては柏戸・大鵬の両横綱から金星を2個獲得する殊勲の星まで伴っていた。

現役引退後は年寄・13代玉ノ井を襲名、春日野部屋付き親方となり、先代からも分家独立の許可を得ていたが、長らく部屋付親方として後進を指導していた。1990年に師匠の逝去を受け[6]正式に独立、玉ノ井部屋を創設。次男・太祐が自らの部屋に入門すると、スピード出世で十両に昇進。昇進を期に自身の現役時代の四股名を継がせた。親子2代で優勝を経験[1]

部屋の相馬市夏合宿は、2023年時点で13代玉ノ井の時代から約30年、13代玉ノ井の帰郷を兼ねて例年名古屋場所後に行われている。新型コロナウイルス感染拡大の影響での中止を挟んで2023年に4年ぶりに再開[7]

協会では、審判委員等を歴任し、2007年1月に役員待遇(指導普及部副部長・生活指導部副部長)に昇格した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef