栃木・群馬・埼玉の三県境
[Wikipedia|▼Menu]

栃木・群馬・埼玉の三県境
平地の三県境
整備前の三県境。看板は栃木県側の地権者が立てたもの。(2011年11月)地図
座標

北緯36度12分27秒、東経139度39分50秒[1]

標高15メートル (49 ft)[2]

栃木・群馬・埼玉の三県境(とちぎ・ぐんま・さいたまのさんけんざかい[3]、-さんけんきょう[4][5])は栃木県群馬県間、群馬県・埼玉県間、埼玉県・栃木県間の3本の県境が交わっている点であり、平地にある。

この三県境は渡良瀬遊水地の谷中湖の南西にあり、群馬県邑楽郡板倉町海老瀬、栃木県栃木市藤岡町下宮埼玉県加須市小野袋がそれぞれ接している[6]

日本はその地理の特性上、県境がほとんどの場合山脈や河川に沿って引かれているため、陸上・河川上の3都府県境は当地を含め全国に40か所ある[7]もののそれらは基本的に山、森林、川の中に存在する。しかし、この栃木・群馬・埼玉の三県境は周辺に民家も存在する平地にあり、特別な交通手段を用いずとも容易に訪れることができる点では全国唯一である[6][8][9][10]

また、この三県境から東南東に約2.4キロメートル離れた渡良瀬川上に茨城・栃木・埼玉の三県境がある[11]

この三県境の周囲の2市1町はここを平地の三県境と呼び[4]、「歩いて行ける!!平地の三県境」として事業名の一部にもしている[12]県境マニアはこの三県境を俗に柳生の三県境と呼んでいる[13]
歴史

当初は三県境は渡良瀬川の上だった。足尾鉱毒事件により渡良瀬川の流路が変更され、三県境のある場所は沼地になり、そして1970年代に約2メートル[8]埋め立てられて水田になり、最終的に三県境の正確な位置はわからなくなってしまった[14][9]。調査されるまでは、用水路のY字路の部分が三県境だとみなされていた[6]
境界の確定三県境に設置された直径8 cmの真鍮製の記念プレート。

2016年1月から、三県境に接する2市1町は各々の県や国土地理院から助言を受けながら協議・測量を行いはじめた[1][15]。Y字路を構成するU字溝を壊し[8]、泥を取り除いたところ、1980年圃場整備終了時に群馬県が設置した県境確認用の杭が発見された[6]2月9日には2市1町が合同して、地権者立会いの下で、三県境を確認した。確定した三県境には新たにコンクリート製の杭が打たれた[16]

この調査は住民からの要望を受けて栃木市が発案した[8]。かかった費用は約130万円であり、三県境に接する2市1町が分担した[7]。同年3月までに県境確定作業を終了し、同月31日、加須市北川辺スポーツ遊学館において栃木市・板倉町・加須市の3首長が「行政区域境界確認書」への調印式を行い、その後約400メートル離れている三県境に移動、設置された真鍮製の記念プレートが披露された[10][15]。栃木市長の鈴木俊美は「3市町の絆のシンボルとして、仲良く連携して事業に取り組みたい」と述べた[10]。4月1日より発効。真鍮製の記念プレートはコンクリート製の杭の上に取り付けられ、「三県境界」の文字と加須市、栃木市、板倉町の各自治体名と、経緯度が刻まれている[10][1]
観光資源として.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} 関東地方における位置

栃木県側の地権者は1990年代半ばから自作の看板を立てたりノートを設置するなどしてPRを続けていた[6]。おおよそ2010年代からテレビ番組やインターネットなどで取り上げられるようになり、県境付近をまたいだり、手をついたり、記念撮影したりする見物客が現れはじめた[9][14]

2015年頃から訪れる人が多くなり、住民からも要望が出されたことから、栃木市の発案により三県境確定作業が行われた(前項参照)。三県境の画定が報じられた2016年4月以降更に見物客が増え、2市1町は観光資源として三県境を活用しようと検討し始めた[10]。埼玉県加須市は、三県境と道の駅かぞわたらせの接続を計画している[6][8]。群馬県板倉町もこの地を町の名所として紹介[17]、三県境を紹介する観光ビラを独自に制作している[9][14]。栃木県栃木市も、三県境と栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線を合わせ、パワースポットとして売り出す考えを示した[6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef